人口約50人、うち75%が65歳以上という兵庫県の集落で今年3月、住民の作品を展示する小さなミュージアムがオープンし、来場者にオリジナル缶バッジが配られました。
編み物やひな飾りといったものから、写真や俳句まで全て住民が製作したもので、もちろん缶バッジも集落の人の手でつくられたものです。
71歳でこの「世界一ちっちゃな美術館」を開設したプロジェクトの代表者は、訪れた人から「世界一あったかい美術館」と言われたことがうれしかったといいます。
世界でも群を抜いたスピードで高齢化の進む日本では、平均寿命が100年前と比べて2倍も長く延びています。高齢者が増えていく中で、高齢者自身も元気に暮らすことに対してより積極的になり、ポジティブな方向へ意識の変化が現れているのかもしれません。
2016年にリリースされた「Pokémon GO(ポケモンGO)」でも、子どもや若者だけではなく、高齢者にヒットしたことが話題になりました。
最盛期と比べれば落ち着いている「Pokémon GO(ポケモンGO)」ですが、実は高齢者によって人気が支えられており、現在日本のユーザーのうち50代以上が全体のおよそ20%を占めるまでになっています。
「Pokémon GO(ポケモンGO)」はプレイすることで自然と歩数を伸ばすことができるため、市民の健康推進のために活用しようという自治体も出てきており、神奈川県ではこれまでに「ポケストップ」や「ジム」の位置を記したウォーキングマップを配布するなどの取り組みを行ってきました。
小さな子どもたちを対象にしているように見える遊びでも、そのシンプルさや面白さは高齢者にも通じるもので、海外では高齢者が遊ぶための遊具がある公園もつくられています。
あの素晴らしい日々をもう一度
スペインには高齢者向けの公園が普及し、バルセロナ広域だけで300以上もあるそうです。
15歳以下の子どもは立ち入り禁止で、手押しぐるまを押して訪れる高齢者も遊べるようなペダルや広めの平均台、斜面、ターンテーブルなどの遊具が設けられています。
こうした取り組みによって公園へ遊びに通うようになった高齢者は、公園の外でもイキイキと自信を持って歩き回るようになっているということです。
脳のワーキングメモリは加齢によって低下するので、高齢者にとっては複雑な情報処理が必要なことは億劫になってしまうものですが、シンプルなルールの遊びであればそれを取り入れることで高齢者はより社交的になり、生活の質を向上させることができます。
ヨーロッパで広まる高齢者公園で、高齢者が「遊具」で遊ぶのに唯一必要なのは、子ども向けだと思っていたものを使うことに対する恥ずかしさを克服することだといいます。
しかしながら、高齢者が次第に公園を拠り所とするようになっていくように、楽しい思い出として残っているものほど、時を経てまた遊んだ時の喜びも大きいのかもしれません。
65歳の健康な高齢者を対象とした思い出に関する調査では、10代〜30代前半のことがよく思い出されていたといいます。
今60代の人々が20代だった頃に急激に親しまれるようになった缶バッジも、きっと公園の遊具のように、多くの高齢者にとって当時の楽しかった記憶を思い起こさせ、若返りを助けるアイテムの一つになるでしょう。
1970年代、新時代のファッションの聖地として若者が憧れた原宿の街。その自由で新しい若者文化の発信地の店頭に缶バッジも並ぶようになり、80年代に入る頃には自分の名前が描かれた缶バッジが若者の間で一大ブームを起こしました。
その後も、行楽地などを中心に全国でよく見かけるようになった名前入り缶バッジ。数ある名前の中から自分の名前や想いを寄せる人の名前を見つけるのは、心踊る思い出として多くの人の記憶に残っているのではないでしょうか。
80年代を通じてキャラクターの缶バッジや、アイドルやスターの顔写真がプリントされた缶バッジなど、さまざまデザインが広く親しまれるようになり、缶バッジは当時の東京カルチャーを象徴するようなアイテムになっていったのです。
缶バッジで心が若返れば、体も若返る
実際、昔の楽しかった思い出を再体験することによる若返りの効果は様々なリサーチでも報告されています。
その先駆けとなった1979年の高齢者を対象とした研究は、「心の時計の針を巻き戻すと、体にはどんな影響があるのだろうか」というテーマで行われました。70代〜80代の高齢者を集め、20年前と同じ環境で彼らに一週間過ごしてもらい、それが心身にどのような影響を与えるのかを調べるというものです。
被験者が過ごしたのは、ラジオから20年前にヒットした音楽が流れ、白黒テレビに映るのは当時人気のテレビ番組という環境で、それ以降に登場したモノや情報は一切目にすることがありません。実験に参加する被験者にも、目にするものが過去のものであっても今楽しんでいるように現在形で会話をすることをルールとしました。
実験後、興味深いことに高齢の被験者の聴力や記憶力は向上し、体重も増え、握力などの筋力の数値にも良い傾向が見られたそうです。
年齢というのは客観的に測ることが難しく「自称」で若返ることができてしまうような、科学的にはあいまいなものなのかもしれません。
昔よく聴いていた歌を耳にすると当時の気持ちが蘇ってくるように、青春時代を彷彿とさせる缶バッジのようなアイテムを再び身につけてみたり、自分でつくってみたりすることも、きっと心身によい刺激となることでしょう。
日本人の寿命は世界トップレベルを維持し、女性が一位、男性が二位にランクしています。
しかしながら、“平均寿命”と“健康寿命”(健康状態によって制限されずに暮らせる期間)の差は、男性9年、女性が12年となっており、高齢者が自立してイキイキと暮らす時間を増やすことは、社会の大きな課題となっています。
高齢になると「もう歳だから」と若い世代に迷惑をかけないように受け身の姿勢を持ちやすくなるものです。
けれど、老人ホームの高齢者を対象に行われたリサーチでは、介護士らに促されながらいつも通りに過ごすより、自分自身で決めたことをして過ごす方が、高齢者たちはより活動的になり、頭の働きもしっかりして心身ともに健康になったと報告されました。
何かをつくったり遊んだりする中で「自分で決める」ことが増えれば、いくつになっても健康で有意義な時間を増やすことができるのかもしれません。
歳を気にせず、同世代で缶バッジマシンを囲んで思い出話に花を咲かせつつ、自分の頭でデザインを考え、自分の手で缶バッジをつくってみるのもいいでしょう。
複雑な作業行程でなく、就学前の子どももつくれる缶バッジはそもそも高齢者にもやさしく、若い頃のようにワクワクした気持ちになれる遊びの一つなのです。
参考書籍 :
■増本康平「老いと記憶 加齢で得るもの、失うもの」中央公論新社、2018年
■エリック・クリネンバーグ「集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る『開かれた場』の社会学」英治出版、2021年
■エレン・ランガー「ハーバード大学教授が語る『老い』に負けない生き方」アスペクト、2011年