インフルエンサーやユーチューバーなど、これからの社会では、個人の意見に大きな価値があるように思われます。
実際、企業がデジタルメディアに広告をかける割合はどんどん大きくなっており、アメリカのマーケットリサーチ会社の報告によると、2020年には広告予算の43.5%がデジタルメディアに費やされると予測されています。
デジタルマーケティングへの関心が急上昇し、個々の人がそれぞれに、どれほど自分がユニークなのかを伝えようとする動画も多く見られるようになりました。
しかし「個性」がとりざたされる一方で忘れてならないのは、今の時代において大きな価値を産み出すのが、SNSなどインタラクティブなプラットフォームで膨らむ「共感」だということです。
自分は人と「何が違うのか」を追求しても、多くの人に「わかる!」と言い合う共感の楽しみを提供することはできません。
自分は人と「何が共通しているか」を意識して伝えることの方がよほど重要なのです。
個人の意見に注目が集まりやすい世の中ですが、そもそも個人の意見よりも集団の意見の方が優れているということは広くリサーチされてきました。
例えば、ビンいっぱいに入ったジェリービーンズの数を予測するという実験では、被験者56人がそれぞれに推測した数の平均値はかなり正確で、それよりも正解に近い数を個人で推測できたのは、たった1人だけだったそうです。
「平均」というと、面白みのないように聞こえるかもしれません。
確かに、スポーツで言えば、クラスで一番足の速い人にクラスの平均タイムが勝ることはありません。しかしながら頭を使う場合、平均的な回答がクラスで一番の回答と同レベル、あるいはより優れていることが実は多いのです。
それは、個人では自分の間違いに気付きにくいのに対して、集団では個人の間違いを引き算した情報が残りやすく、より正確な判断にたどり着くことができるからです。
人の意見に限らず、ものにおいても美しいものには「集団の美」があるといいます。
人それぞれに価値観は異なりますが、最大多数の美しいものというと、信頼できる品質で、何度も使用できる丈夫で健康的なものが美しいものということになります。
資本主義によって安いもの・多産のものは粗悪というイメージが広がってしまいましたが、150年ほど遡ってみれば、繊細でもろい高価な器より、自然で実用的な無名の器こそが多くの人が認める美しいものだったのです。
時代をまたぎ、世代を超えて人々に楽しまれてきたバッジも、さまざまな集団で分け隔てなく活用されてきました。
そして現代のSNSとの相乗効果で、バッジはさらに、共感を行動へと促すツールとして用いられることが増えています。
イギリスのある10代の兄弟は、医療関係者の母親がコロナウイルスに感染し、家にこもって死におびえる日々を経験しました。
2人がコロナとの戦いに対する思いを伝えるバッジをつくって医療をサポートするための募金活動を始めると、その活動はSNSなどを通じて急速に広まり、これまでに11,000個以上のバッジとバッジへの募金が医療関係者へと渡ったそうです。
このようにイギリスではバッジとSNSを掛け合わせて医療関係者への感謝や寄付を募る活動があちこちで起こっています。
例えば「#PinYourThanks」の元、キーラ・ナイトレイやリンゴ・スターといったセレブリティもバッジデザイナーとして募金活動に参加しています。
戦々恐々としたコロナ禍の日々は「戦時中の暮らしと重なる」というような発言も見かけるようになりました。
戦争体験者の中には、外に出れば命が脅かされるコロナの怖さが、戦時下だった幼いころの記憶と重なるという人もあります。
ただし戦時下と異なるのは、世界中で人々の気持ちが共有されるようになったこと。誰もが同じような不安を抱える今、多くの人の意見や多くの人に行き渡るものの価値が見直されていくのではないでしょうか。
SNSで呼び起こされた「共感」は、そこで消えてしまうのではなく、バッジによって物理的に手にとって分かち合い、実感をもつことができるようになっています。
異なる多くの人の意見の間違いを引き算していくことで、集団の知恵によってこの危機は打開へと着実に向かっていけるはずです。