ロシア人料理家とウクライナ人料理家によってスタートした「#Cook For UKRAINE」の活動が、SNSを通じて世界に拡散しているそうです。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まった際に、ウクライナの子どもたちや家族を支援するために立ち上げられた「#Cook For UKRAINE」。
ウクライナの伝統的な家庭料理の写真やレシピを共有したり、活動に協賛するレストランで支払い時に寄付をしたり、有名シェフも活動に参加するなどして既に1億6千万円以上もの寄付が集まっているといいます。
私たちはあまりにも多くの食べ物に囲まれているために意識することが難しくなっているかもしれませんが、「食べることは生きること」というように、食べることは生きている実感と直結しています。
戦争で日常を奪われた人々の姿に、日々おいしいものを食べられることはかけがえのないことだと多くの人が再確認し、共感を寄せているということなのかもしれません。
日本でも、どんぶりやお皿に盛り付けられた食べ物を、丼や皿をそのままフレームとして用いて真上から撮影した「食べ物缶バッジ」が、地方で地元民に人気の個人店に広まり、町おこしなどに活用されています。
熊本ではコロナ禍の中、地域のお店の人気メニューの食べ物の姿そのままの缶バッジを制作し、それを販売することで、お客さんが好きな食べ物缶バッジを身につけて楽しんだり、コレクションする喜びを膨らませようという取り組みがスタートしました。
一つのラーメン店からスタートしたラーメン缶バッジのプロジェクトに他のラーメン店も参加し、この食べ物缶バッジをつないで熊本の隠れた名店を発掘し、飲食でまちを盛り上げる「ラーメン缶バッジラリー」の構想が練られたりもしています。
これまで、地域のラーメン店・ケーキ屋・洋食屋・定食屋といった個人店は、物販をほとんど扱っていないことが多く、そこのお店の食べ物がおいしかったり、とても良いサービスを受けたとしても、食べものを味わうくらいしか楽しむ方法がありませんでした。
もし自分が食べたメニューそのものの缶バッジが購入できたら、記念に持ち帰ることができ、また、ファンとしてお店を応援する意味でもお客さんの気持ちがより満たされるかもしれません。
食べ物缶バッジを扱うお店の中には、ラーメン缶バッジにトッピング無料券やラーメン無料券などをセットにしてガチャガチャで販売し、家族連れのお客さんがお店を訪れる楽しみにつなげるところも出てきています。
冷蔵庫がない時代であれば到底保存できないくらいの、食べきれないほどの食べ物が手に入るようになって、食べることと生きることを直結させて考えることは難しくなりました。
InstagramなどのSNSでも、人気の被写体となった食べ物の多くは見栄えを優先されており、「食べること」からも「生きること」からも離れてしまっているように見えます。
フォロワーの反応を意識しすぎてしまうことから起こるSNS疲れが聞かれる今、一旦外野を除外して真上からお皿の上の世界だけを切り取ったシンプルな缶バッジで、自分だけの食の楽しみやありがたみを再確認してみるのもいいのではないでしょうか。
人をつなぐ食べ物は「カワイイ」から「リアル」へ
最近では「フェイクフード」という樹脂粘土と塗料、あるいは和紙などを使って本物そっくりに作られた食べ物のイミテーションの人気も高まっています。
居酒屋メニューや洋食メニュー、お弁当、パンなどさまざまなフェイクフード作家が出てきているそうですが、こうしたフェイクフードに求められているのは、その食べ物のリアル感です。
人気のフェイクフード作家の方の話で、食欲旺盛な子どもたちから「ソースがうまそうじゃない」「マヨネーズかけた方がよい」といったダメ出しをバネに作り続けてきたということも聞かれるように、オシャレとかカワイイとかよりも「目で見ておいしい」ということが大切なのだそうです。
SNSに載せるための食べ物を撮る一方で、小さな自分の好物を缶バッジにしたり、キーホルダーにしたり、マグネットにしたりして、自分の生活空間に「食べ物で幸せな気持ちになれるアイテム」を取り入れたいという人が増えてきているのかもしれません。
YouTubeで200万視聴数を上回る日本人作家のフェイクフードの動画には、「15cmくらいの小人になれたら食べに行きます」等、世界からのコメントが溢れていて、小さくてリアルな食べ物を通じて世界の人々がつながっている様子が見られます
食べ物缶バッジも、心をなぐさめてくれるもの
私たちは自分の人生で一番おいしかったものを振り返る時に、どんな食べ物を思い出すのでしょうか。
終末期患者が人生の最期を穏やかに過ごすためのケアを受けるホスピスで働くシェフの実話がまとめられた書籍「人生最後の食事」には、シェフがホスピスで暮らす人に毎日「何が食べたいですか?」と聞いて回り、幼い頃食べた家庭料理などそれぞれの思い出に紐づいた個々人の食べたいものをできるだけ再現して提供する様子が描かれています。
そして、最後の瞬間まで楽しく暮らすには食べ物で喜びや日常を一瞬でも取り戻すことが大事なのだとして、次のように書かれていました。
「ものを食べれば、自分がまだ生きていると感じられる。
食べている間は息もしているし、感覚もあるでしょう。
食事は我々が生きるうえでいちばん根っこにあるものです。」
「人の心をなぐさめてくれるものは世の中にいろいろありますが、食事もそのひとつです」
おいしいものを食べて幸せだと感じれば、精神的にも肉体的にも元気になるものですし、行ったことのない場所でもそこの料理を作って食べてみたりすることで、そこで暮らす人々に近づけるような気もします。
SNSのように情報をシェアするツールだけでなく、食べ物を通じた日常のホッとする時間やワクワクする気持ちを缶バッジに込めて、食べることの喜びと共に暮らしてみるのはいかがでしょうか。
ふと無性に「これが食べたい」と思うことがあったりしますが、缶バッジのように手にとって思い出を噛み締められるものも使って、シンプルでリアルな食の幸福感を増やしていけたらと思います。
参考書籍 :
■ 稲垣えみ子「寂しい生活 魂の退社」東洋経済新報社、2017年
■ デルテ・シッパー「人生最後の食事」シンコーミュージック・エンタテイメント、2011年