今年1月末、ニューヨーク・タイムズ紙に巨額買収されたオンラインゲームが注目を集めています。
その名も「WORDLE(ワードル)」というこのゲームは、1日1回、アルファベット5文字の英単語をあてるゲームです。
「WORDLE(ワードル)」はもともと、一人のソフトウェア・エンジニアが巣篭もり中に家族で遊ぶためにつくったものでした。それが、昨年10月に無料公開されるとプレイヤーの数が爆発的に増え、今では数百万人が日々楽しむゲームになっています。
毎日少しずつ楽しむことで習慣化しやすいゲームで、回答したことを共有するSNS機能も付いているため、先日は「WORDLE(ワードル)」の回答が途絶えたことから高齢の母親に何かあったのではと娘が通報し、家で強盗に閉じ込められていた母親を救い出すことができたというニュースもありました。
およそ1万2000語存在するという5文字の英単語の中から「WORDLE(ワードル)」に使われる単語の数は、約2500語まで絞り込まれているそうです。
5文字というのは言葉で発すると約1秒で伝えきることのできる長さの単語で、日本語でも「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」「おめでとう」など、よく使われる大切な言葉に多い長さと言えるでしょう。
缶バッジの枠内に収めるのにもちょうど良い長さのためか、缶バッジづくりのワークショップでも何を書こうかと悩んだ末に、「ありがとう」と書く参加者がよく見受けられるようになっています。
缶バッジで、5文字の言葉の一文字一文字に心を込める
普段の暮らしを見直すと、口癖のように発している言葉は必ずしもポジティブなものではなくて、「いそがしい」「はやくして」など、日々のフラストレーションが口をついて出てしまうことが多いかもしれません。
笑いや祈りなどについて研究し、さらに遺伝子工学の世界的権威でもあった村上和雄氏の名言に次のようなものがあります。
「『ありがとう』と言えば『ありがとう』と感謝したくなるような世界が現れ、『ばかやろう』と言えば『ばかやろう』と怒りたくなる世界が現れる」
よく言霊といいますが、古来から私たち日本人は言葉の持つふしぎな働きを信じ、それを大切にしてきた長い歴史を持っていて、言霊の働きについては今、科学的にも説明ができる部分があります。
一つに脳は「主語を理解しない」ということがわかっており、それはつまり「もう嫌だ」といったことを口にすると、脳は誰のことを言っているのかに関係なく、自分のことが「もう嫌だ」と捉えてしまうというわけです。
実際、「いそがしい」と急いだからといって忙しくなくなるわけではなく、むしろ忙しい方へと自分から向かっていっているようにも思われることが少なくありません。
「ありがとう」という言葉を書いて伝える場合も、雑に書かれたものではなく、一文字一文字気持ちを込めて書かれている「ありがとう」は心からの感謝が込められているように伝わります。
たった5つの文字であっても、それが手書きである場合、線の太さや勢いなど、書かれたものに含まれる情報量はデジタルな文字とは比べ物になりません。
受け取った人は書いた人の書きぶりから多くを受け取るもので、特に缶バッジの場合は文章量の多い手紙などよりも文字がクローズアップされるため、「ありがとう」という短い単語ほど、その文字に込められた気持ちがより伝わりやすくなっています。
デジタルの時代だから「ありがとう」を書いて伝える
「木」という漢字が木の姿を示すように、字面で意味を表す東アジアの言語は書き言葉に重点があり、そうしたことから書の文化が発展したのだそうです。
福祉活動家として活躍した佐藤初女さんは “日本のマザー・テレサ” と呼ばれていたこともあって、「母」という字を書いて欲しいとよく頼まれたそうですが、そうしたときに納得のいく「母」が書けず、母になるのはこれほど難しいことなのかと思ったと、その著書の中で次のように述べていました。
「形もうまくいかないし、真ん中の点も上手に打てません。 縦の線はまっすぐにしても、斜めにしてもダメ。横の線も非常に難しい。角をきちっと書くと、厳しいお母さんのようになります。」
「中に点が二つ入りますが、わたしは今までつなげて書いていました。でもこれは、お母さんの乳房をあらわしているということを聞いて、それからは二つの点を離して書くようにしています。それも点々の打ち方によって〝泣いている〟ときもあるし、〝喜んでいる〟ときもある。お母さんの表情をはっきりとあらわしているのです。 」
デジタル化が進み、手書きの機会は減っていますが、実際に過去に書いたノートの文字などを見返してみると、その時々で異なる文字の表情の豊かさに驚くことがあります。
大人も子どもたちも参加する缶バッジづくりではひらがなが使われることも多いですが、書の文化がベースにある私たちの目には、「ありがとう」の文字の姿にそのひととなりまで透けて見えてくるからふしぎです。
予測変換で文字を全て入力することもない現代は、メールを書いたりメッセージを送ったりするのに何か物足りなさを感じる人が少なくないのかもしれません。
そういった時代に、伝えたい一言を心を込めて缶バッジにしてみることから再確認できる言葉の素晴らしさもあり、それは古来より伝わる言霊の文化を継承していくことにもなるのではないかと考えるとワクワクしてくるのです。
「WORDLE(ワードル)」による単語遊びの熱は日本にも波及し、日本語版や四文字熟語バージョンなどが出てきたりしているそうですが、デジタルでは再現できない缶バッジによる書き言葉の5文字の遊びを、日本から広めていきたいと思います。
参考書籍 :
■ 「『単純で気軽』なのに数百万人がハマる、単語当てゲーム『ワードル』の魅力」Newsweek日本版、2022年2月11日
■村上 和雄「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」ソフトバンククリエイティブ、2011年
■和田 哲哉「頭がよくなる文房具」双葉社、2017年
■石川 九楊「誰も文字など書いてはいない」二玄社、2001年
■佐藤 初女「限りなく透明に凜として生きる」ダイヤモンド社; 第1版、2015年