インターネットが誰の手にも届くものとなりつつある中で、個人による発信はとどまることを知らずに増え続けています。
「集団より個人」という時代の流れの中で、「建前より本音」も、新たな社会のスタンスとしてよく聞かれるようになりました。
しかしながら、建前と本音を何か敵対しているもののように考えてしまうと、社会のニーズに応えるビジネスチャンスを逃してしまうこともあるようです。
建前を大事にしてファンを増やしてきたお店に、駅ビル・駅ナカなどでよく見かける、食べるスープの専門店「スープストックトーキョー」があります。
スープストックトーキョーのスープが注がれるカップは、スープ皿のような形ではなく、高さがあり、コップに近い形をしています。
一見すると実際の量よりも少なく見えてしまうこのカップの形がなぜ重要なのか…。
スープストックトーキョーでは、店舗に訪れるお客さま全体のうち、9割を女性が占めているといいます。
少なく見えるカップによって、女性たちの「品よくありたい」という建前と、ぺこぺこのお腹を満たしたい本心を、同時に叶える構造になっているのです。
ひとたび本音が晒されれば、人間関係がギクシャクしてブロックされたり、炎上が起きる…。
今の社会、「本音」が持ち上げられ過ぎることによる反動がそこかしこに見られます。
そうしたことが起こるのはインターネットのせいだと思われがちですがその前に、人々が「建前」の存在意義を見失ってしまったことが本質的な要因なのではないでしょうか。
そもそも建前によって各自の本音が守られてきた人間社会の長い歩みを考えれば、建前をないがしろにすれば、コミュニケーションが途端にうまくいかなくなるのは当然と言えるのかもしれません。
私たちは「本音と建前」という並べ方をするときに、この二つを何か全く別のことのように捉えがちですが、物事が表裏一体であるように、本音と建前も二つセットで存在しているものなのかもしれません。
スープストックトーキョーのカップように、建前を壊さずに本音を満たしているもう一つの成功例として、『痴漢撃退』の缶バッジが挙げられます。
こちらは痴漢被害を防ぐことを目的に、毎年公募で「痴漢抑止バッジデザインコンテスト」を開催し、受賞作品をインターネットショップで一般に向けて販売している取り組みです。
元をたどれば、通学電車で痴漢にあった女子高校生のアイデアから発展した「痴漢抑止バッジデザインコンテスト」。
当時、痴漢に悩んでいたその女子高生は「痴漢は犯罪です。私は泣き寝入りしません!」という、ラミネート加工の自作プレートをつけて通学するようにしたところ、痴漢の被害がピタリと止んだのだそうです。
意思表示をすることの大切さを実感したのは確かですが、悲しいことに背後で陰口を叩かれることが出てきたといいます。
「もしこれが缶バッジであれば誰でも参加しやすく、たった一人で痴漢に立ち向かう必要もなくなるのではないか」
そんな思いから生まれた「痴漢抑止バッジコンテスト」。初年度のバッジデザイン応募数は443作品、今年開催6回目にして760作品と、痴漢撃退 缶バッジの認知はじわじわと高まっています。
痴漢抑止バッジが若者の間で受け入れられつつあるのは、缶バッジの手軽さやデザインの自由度が、「身に付けたい」「デザインしたい」という動機を与えやすいからではないかと思います。
例えば昨年の受賞作である宮崎県の男子高校生のデザインしたバッジには、カワウソのキャラクターと、「カワいくても許されません」というメッセージが書かれていました。
カワウソの缶バッジには、被害にあった友人のためを思ってデザインされたという背景があり、女子中高生のテイストを守りながら「許せない」という本心を伝えてくれます。
可愛らしいデザインであっても「痴漢を許さない」と意思表示する缶バッジ。
痴漢加害者は通常「許してくれそうな人」を選んでやっているためか、こうした痴漢抑止バッジをつけるようになって痴漢が止んだという報告も上がっており、痴漢撃退効果が着実に現れているようです。
本当に大事にしたい本心を守るために建前を大事にするのが、人間社会の知恵ということなのかもしれません。
とりわけ日本は建前が大事にされてきた社会です。
他人同士ではなく親子の間に関する調査でも、65歳以上の親が我が子と話すときには本音7割、建前3割といいます。
大人になった子どもがたまに実家に顔を見せるとなると、高齢の親がちょっと無理して準備したことを何でもないように見せてみたりして建前を使うのは、親子の間柄を大切にしている証拠なのでしょう。
例えばスープにおいても、カップで食べるより、具材がゴロゴロ見える大皿で食べる方が食べた気になるという人もいるかもしれません。
バッジにおいても、恐怖を煽るようなやり方で「痴漢は犯罪」と語気を強めた方が痴漢抑止につながるという考えもあるでしょう。
それが多くの人の本音だとしても、社会生活を送る上では、建前を通してしか本心を満たせない場面はたくさんありそうです。
いつの時代も大きなビジネスチャンスを掴む可能性を秘めているのは、「本音を晒す」よりも「本音を守る」マーケティングの方なのかもしれません。