「観光」という言葉は、その地にある「光」を「観る」と書きます。
もともと、昔の観光とは「お寺に出かけて仏像に会うこと」だったそうで、現代のような娯楽やレクリエーション的な要素はなかったのだそうです。
東京に出かけて、表参道で買い物をし、浅草の観光スポットを周って、銀座で美味しいものを食べる。
確かにこれでも、東京という街を観光したということになるのでしょうが、東京にある「光」を「観た」ということにはならないのかもしれません。
どんな観光スポットでも初めて訪れた時は、自分の日常の生活では観ることができない「非日常」に魅了されます。
しかし、2回目、3回目、もしくは、毎年のように、その街を訪れたくなるかどうかは、「非日常」ではなく、自分たちとは異なる「異日常」のライフスタイルを生み出せるかにかかっています。
世界一の高さを誇るドバイのブルジュ・ハリファやバルセロナのサグラダファミリアは一度は行ってみたい観光地ですが、2回、3回と行ったところで、感動はありませんし、地元の人たちの中には、わざわざ行く必要はないと考えている人も多いことでしょう。
「異日常」の街や地域を生み出す上で一番大切なのは、その地に住んでいる人たちが、他の地とは異なる豊かな日常性を持っているかということです。
最近では、缶バッジをPR活動に使う地方の街も増えてきています。
岐阜県と三重県を結ぶ養老鉄道は、ローカル線の魅力を伝える様々な缶バッジを作成し、香川県の丸亀市、坂出市にまたがる飯野山でも山開き式と合わせて、缶バッジが作成されました。
養老鉄道や飯野山は、とても「非日常」を提供する観光スポットとは言えませんが、地元の人たちに愛されている場所やインフラであり、長期的に見れば、「異日常」のライフスタイルを提供するポテンシャルを持っているのでしょう。
2017年、デンマークのコペンハーゲン市が「観光の終焉宣言」を行いました。
これまでは、見栄えの良い写真や大量のマーケティング費用を使って観光客をどんどん引きつけ、とにかく量を意識した観光地化戦略が取られてきました。
おかげで、各地では観光客が増えすぎるオーバーツーリズムという現象が起こり、観光客はモナリザの写真を撮るためにパリにわざわざ来ているなどと言われています。
観光も量から質に転換しなければならない時期に差し掛かっているのでしょう。
観光とは、地元住民や企業、そして観光客が一緒に作り上げていくものでなければなりません。
地域の観光が盛り上がることで、そこに住む住人の生活の質が上がっていかなければ、街や地域はどんどん観光の犠牲になり、持続的に観光客をもてなすことができなくなってしまうことでしょう。
そういった意味では、大量のマーケティング予算を投入するのではなく、缶バッジのような小規模なマーケティングを行っていく方が、質を訴求するための戦略としては効果的なのかもしれません。
たくさんの場所に行ってみないと、本当の意味で特定の場所に繋がりを生み出せない。
年々、日本を訪れる外国人は増え、東京や京都などは、外国人が訪れるお決まりの観光スポットですが、日本に来るのが2回目、3回目の外国人に対して、京都に続く次の目的地を日本は提供できていません。
スイスの人口約5700人のツェルマットという街は、アクセスが悪いのにも関わらず年間約200万泊のお客さんが訪れるのだと言います。
それも7割近くはリピーターで、ツェルマットで毎年決まった時期にバカンスを楽しみ、帰りの際に来年の予約をして帰る人も少なくないのだと言う。
「異日常」のライフスタイルを観光客に提供するためには、そこに住んでいる人たちが、その地域を愛している必要があるわけですが、自分の住んでいる地域の良さに気づくためには、自分の目で世界の色々なものを観てみなければなりません。
イギリスに本社を置くインターコンチネンタル・ホテルズ・グループはかつて「全部見尽くさないうちにお気に入りの場所はない」という宣伝を出しました。
つまりは、実際に色々なところに行ってみないと、特定の場所に本当の意味での繋がりは生み出せないということです。
ホテルドットコムの調査では、旅行のホテルで最もたくさんのお金を使うのはスイス人で、観光地として「異日常」のライフスタイル
を提供しているスイス人自身が誰よりも多く他の地域を訪れているのでしょう。
誇れる歴史や文化が多くあっても、成功していない観光地が多いのは、そこに住んでいる人たちが観光客が望むものを提供できていないからだろう。
旅先を本当の意味で理解するためには、そこで生活する「人」の介入が不可欠であることは言うまでもありません。
例えば、地域の食ひとつ取っても食べるFood(モノ)と食べるEat(コト)という概念があります。
都会の食はただ固形物を飲み込むFood(モノ)なのに対し、地方の食は、その地域の文化や人々との繋がりを感じながら食べることができるため、Eat(コト)と表現するのが正しいのだろう。
コロナ禍を通じて、観光を量から質にシフトさせていくためには、その地域に住む人たちの成長が不可欠です。
観光の量が意識されていた時代は、広告やマーケティングの予算が物を言いましたが、観光の質が意識される時代は、その地域に住む人の魅力が物を言うことになります。
旅行先で素晴らしい体験をした人は、それをどうしても他人に伝えたくなるのが、感情を持った人間の基本であり、本当に良い体験を提供すれば、広告やマーケティング予算などを注ぎ込まなくても、少しずつ周りに伝わっていくものなのでしょう。
もしかすると、質を意識する時代の広告やマーケティングは缶バッジくらいの小規模なものがちょうどいいのかもしれません。