「生産性」「作業工程」を会議の定番ワードのようにして、より少ない時間と労力で大きな結果を得ることをよしとする風潮が根付いています。
その一方で、手間ひまを省いて目の前の利益を最大化してきたこれまでの蓄積により、私たちが取り返しのつかない未来に突き進みつつあることが、さまざまな分野で明らかになりつつあります。
例えば、農業においては「土をつくり、作物をつくる」という工程における土づくりの部分を省力化するため、化学肥料に大きく頼ってきました。
結果、作物を大量に収穫できるようにはなりましたが、時を経てその土壌がどうなっているかというと、もう化学肥料なしでは何も育たないというほどに土地がやせてしまった場所もあります。
というのも、化学肥料は土壌を酸性化させ、肥料に含まるリンは自然界で土を肥沃にすることを助ける微生物にとって害になり、さらに悪いことには、こうした土壌にかかるストレスは消費者金融の利息のごとく取り返しのつかないほどに膨らんでしまうのです。
過去数十年、資本主義において利益を最大化するために尽くしてきた人々も、それによって生まれた数々の問題 - 格差社会、環境問題、食糧問題など ー の報告によって、ものの見方がグラグラと揺らぎ始めているのが現状です。
いまだ生産性を求め続ける企業とは対照的に、未来を危ぶむようになった消費者はモノの生産過程における透明性を求めるようになっており、一つ一つの工程をいかに大切にしているかがビジネスにおいてますます重要になっています。
昨今、工場見学が人気の観光スポット化しているのも、どのようにモノがつくられるかということに対して人々の意識が高まっていることの表れでしょう。
生産過程を視察するだけではなく、つくる一連の工程を自分の手で体験できるとして、缶バッジづくりも広く活用されるようになっています。
「なぜ缶バッジが500円なのか」の背景を想像する
ある教育現場では、図画工作の授業の中で従来のような手本ありきの制作をすることをやめ、代わりに、材料や道具に触れてアイデアを巡らせながらモノをつくる授業を行なっています。
それはなぜかというと、こちらの学校では、モノをつくるテクニックそのものよりも、生徒が社会に興味を持てるような学びにこだわって学習全体をデザインしているからです。
その授業の中で使われている道具に缶バッジマシンも含まれており、生徒が缶バッジをつくる材料を知り、工程を体験することが、世の中の見方を変える一つの手助けになると考えられています。
図画工作を担当している先生のお話では「ブラックボックス化」した世の中だからこそ、缶バッジづくりでどのように缶バッジがつくられているかを見える化することが大事ということでした。
生徒が缶バッジづくりを体験した前と後では、好きなアニメキャラクターの缶バッジを見かけた時にも、考えの及ぶ範囲が変わってきます。
買う側としてだけでなく、どのようにつくられたのか、なぜその値段なのかということまで想像ができるようになったりすることは、生徒が社会を知る一つの手がかりになります。
さらにこちらの授業では、缶バッジの制作工程で生徒が工夫をする機会を増やすため、缶バッジに使う紙を通常の紙ではなく、破れやすい和紙にしたりもしているそうです。
未来をつなぐ発想は「どう直そうか」よりも「どう残そうか」
缶バッジづくりのような、モノをつくる過程がわかるということは、さまざまな想像やアイデアが生まれることにつながりますから、例えば今の深刻なゴミ問題などに関しても、捨てる以外の解決策を見出す可能性を広げることができるかもしれません。
一つの考え方として、家具のデザインで有名なデンマークでは、職人の手でつくられたインテリアを大切に長く使う文化があります。日々家具を使う中で傷ができたとしても、持ち主は捨てたり直したりするより「この傷をどう残そうか」と考え工夫し、味のある家具に育てていくそうです。
また、モノをつくる仕事の工程がわかるということは、ある一定基準を超える能力のある人しかできなかった仕事を、その基準外の人にできるように工夫して、より多くの人に労働のチャンスを与えることにもつながるでしょう。
事実、知的障害者が中心になって働くチョークメーカー「日本理化学工業」は、時計を読まなくても良いように砂時計を使ったり、数を数えなくても良いように日めくりカレンダーのように使えるカードを用意するなど工夫を凝らしています。
結果、製造ラインを知的障害者のみで稼働できるようになっているそうです。
親しみやすく誰にでもできる缶バッジづくりで、一つ一つの工程を知るきっかけを得て、世の中の課題に対して最善の道を選ぶ人が増えたらと思います。
「こうやって缶バッジができるのか」という発見は、仕事をしたり買いものに出かけたりする日常生活のいろいろな場面で、そこに関わっている人、資材、そしてつくられる工程などに想像を膨らませる入り口となるはずです。
モノができるまでの工程がどう流れているのかがわかると、暮らしを工夫をする楽しみが増え、小さな成果を日常的に重ねる楽しみにもつながります。
今、解決の急がれる農業においても、かつて600の荒廃した農村を復興させた二宮金次郎は自分が農民にテクニックを教えるやり方ではなく、それぞれの村の農民が農民同士で討論できる場を設け、農民が主体となって動くことを助け、共に働いたそうです。
その言葉に「大事をなさんと欲せば、小なる事を怠らず勤しむべし」とあり、それは小さな草から根気よく草取りをすれば、太い根の草が楽に取り除けるというような意味になります。
言い換えれば、小さな気づきが得られなければ大きな結果は生み出せませんが、裏を返せば、 一人一人の些細な気づきが連鎖反応を起こして、素晴らしい結果が生まれるかもしれないということでもあります。
便利で高度なテクノロジーを使いこなす前に、缶バッジのシンプルな工程を知る体験からなにか、より良い道が拓けてくるかもしれません。
参考書籍:
■本多静六「私の生活流儀」、実業之日本社、2013年
■松沢 成文「混迷日本再生 二宮尊徳の破天荒力」、ぎょうせい、2010年
■小澤 良介「なぜデンマーク人は初任給でイスを買うのか? 人生を好転させる『空間』の活かし方」、PHP研究所、2015年
■大山 泰弘「働く幸せ~仕事でいちばん大切なこと~」、WAVE出版、2009年