世界的に見ても、山は霊的なものに近づく場所として、この世とその向こう側の世界の境界のようなものとして考えられてきました。

山は人の心をきれいにするとも言われます。

特に山の多い日本では、山岳信仰と呼ばれるものがあり、険しい山に登れば登るほど、そして、登山回数が多いほど神通力が強くなっていくとも言われる。

昔の僧侶はよく山に入って修行をしましたし、最近では、ゴルフではなく、企業の役員合宿で登山をする企業も増えているようで、先が予測できない時代だからこそ、目に見えないものへの信仰心を大切にしようと考える経営者が増えてきているのかもしれません。

2023年の富士山の静岡県側からの登山者は昨年と比べて38%増え、徐々にコロナ前の水準に戻りはじめています。

全国各地でも山を走るトレイルランニングから一般的な登山まで、コロナ禍が本格的に終わる中で、山と積極的に関わりを持つ人たちが増えています。

スマートフォンのGPSを利用して様々な山やアクティビティ・スポットにチェックインしてデジタルスタンプラリーを楽しむアプリを提供している「YAMASTA(ヤマスタ)」は、神奈川県秦野市の指定のスポットにチェックインすると記念缶バッジが貰える「秦野丹沢ハイキングスタンプラリー」を行いました。

マラソン大会でも完走者は必ずメダルや賞状などの「物として残る何か」を受け取りますが、こういった物理的なものは、続けるモチベーションを保つため、何度も振り返って思い出を深いものにしていくためには必ず必要なものなのでしょう。

都会では、駅で肩がちょっと当たっただけでイラっとしますが、登山で人とすれ違うと必ず挨拶をし、お互いに道を譲り合う。

都会では競争に勝つために、効率を追い求めて、命を削りながら働いているのに対して、登山は、他人と協力しながら、効率的なことは一切考えず、失われた命を回復させるような気持ちで山に登っていくのかもしれません。

多くの人は、仕事の達成感を受け取る報酬の多さで実感するのかもしれませんが、仕事以外でもう一つ別の軸を持って達成感を味わっても良いのでしょう。

時間が経つと忘れてしまう思い出の達成感を思い出させてくれるのが缶バッジなのかもしれません。

物事の達成感を缶バッジで刻んでいく。


日本は、自然の恵みも多いが、自然からの災害も多い国です。西洋では、自然を自分たちの力で支配しようとするのに対して、日本では昔から自然は自分の一部なのだと考えていました。

現在、世界の人口で見ると都市に住む人の割合は52.1%なのに対し、日本では91.3%もの人が都市圏に住んでいると言われます。

一昔前の山は「目に見えないもの」と繋がれる場所だったと考えれば、日本人は山や自然からどんどん離れるにつれて、「目に見えないもの」との繋がりを失っていったのかもしれない。

日本人の半数が信仰しているとも言われる神道は、木、石、風、小川、滝などに宿る然の精霊を大切にしているわけですが、大半の日本人が都市圏に住み、自分の信仰と自分の行動が一致していない部分が、現代の日本の大きな問題なのでしょう。

都市での生活は刺激的に見えて、意外と単調なことの繰り返しです。会社や会議室では毎日同じ席に座り、毎回同じスーパーを同じようなルートで周り、週末は毎回同じような商業施設に行って、同じ友達と毎回同じような会話をする。

しかし、あとで振り返った時に人生に一番の充実感を与えてくれるものは、結婚式や会社での大きなプレゼンテーションなど、不確実性が高かった思い出です。

自然の中を歩く登山も不確実性が高いものですが、こういった不確実性が高い体験の中では、感覚が研ぎ澄まされ、より多くのことに気づくことができます。

すると、気分をよくする脳内化学物質(ドーパミン)が放出され、同じようなスケジュールのルーティーンをこなしている時よりも、大きな喜びを感じるのです。

また、ネット検索やSNSが一般化したことによって、現代では貧しい国に住む人でもスマホ一つで、1990年代の米国の大統領よりも豊富な情報や知識にアクセスできるとも言われます。

知識や情報に瞬時にアクセスできるようになったことで、知識や情報の価値は下がりましたが、逆にネットでは習得できない「体験」の価値は以前よりもどんどん上がっています。

特に、常に変化し、時と場合によって、全然違う顔を見せる登山などは、その要素が強いと言えるでしょう。

例えば、富士山を知りたいと思えば、標高が何メートルで山小屋がどこにあり、何となくの雰囲気もYouTubeなどで見れば分かりますが、これは頭の中に残る知識に過ぎません。

実際に登ってみると、何合目から一番きつかった、山頂は想像以上に肌寒かった、山頂で食べた豚汁が最高に美味しかったなど、身体を通じて、ネットにはない情報をどんどん習得することができます。

恐らく、こういった一期一会の体験をどれだけ身体に取り込んでいるかが、長期的にその人の価値のようなものをつくっていくのでしょう。


昔の修行僧が自分を鍛えるために山に入りましたが、自分自身を見失いつつある現代人も自然を慈しみながら、自分自身と対峙するとうことが求められるのだろう。

キツくて楽しいことが無いように思える登山も、登ることでもらえる缶バッジや観光要素も含めたエンターテイメント性を組み込むことで、もっと身近なものに変わっていくのかもしれません。

都会の自己啓発セミナーは瞬時に心を変化させるエナジードリンクのようなもの。

本当に自分の心を変えようと思えば、自然を慈しみながら、自分自身と対峙するために、ゆっくり歩かなければならないのです。