周囲に妊娠していることを示す「マタニティマーク」は広く知られていますが、実はそれに応える「席ゆずりますマーク」も国内外で活用されています。

お隣の韓国では2017年の夏のある日、ソウルに住む会社員が、妊婦の女性とおばあさんが電車に乗車する場面に出くわしました。一人の青年が気づいて席を譲ると、妊婦の女性は先におばあさんをその席に座らせ、別の車両へと移っていったそうです。

その会社員は妊婦の女性に声をかけたものの気づかれず、席を譲ることができなかった、どうすれば譲ることができたのかと、この出来事がしばらく頭から離れなかったそうです。

そして、もし席を譲る側の自分から見える形で意思表示していたら、席を譲られる側も気楽に助けを求められたのではないかと思い立ち、クラウドファンディングのようなプロジェクトで「私は妊婦に席を譲ります」と書いた缶バッジを作りました。

この缶バッジのプロジェクトは、550名近い人が参加し、現地ニュースにも取り上げられたそうです。

日本でも同様に、電車などの車内で席を譲る気持ちがあることを伝えるのが難しいという経験から「席ゆずります。声かけてください」というマークのストラップといった、さりげない思いやりのアイテムが少しずつ広まっています。



「私は妊婦に席を譲ります」と書かれたバッジ//ハンギョレ新聞社
画像:http://japan.hani.co.kr/arti/politics/27673.html


確かに、マタニティマーク自体は広く知られているものの、マタニティマークがどのくらい妊婦に優しい環境を生み出しているのか、妊婦側の体験に耳を傾けてみると、いいことばかりではないようです。

2016年に行われた調査では、妊娠中にマタニティマークを身につけていた人のうち、10人に1人が乗り合わせた人に舌打ちをされるなど、不快な思いをしたり、身の危険を感じたりした経験があると答えました。

2020年に行われたマタニティマークに関する別のリサーチでは、妊婦側の回答として「嫌な目にあうという情報をみた」というのがマタニティマークを身につけない理由の第一位になり、その一方で席を譲る側も、過半数を超える約60%の人が妊婦に手助けをしたい気持ちを行動に移せていないことがわかっています。

「助けて」と発信するのは、それによって少しでもリスクがあるとしたらなかなかできないことです。さらに、手助けが必要な側からのはっきりとした意思表示が確認できない状況は、手助けする側にとっても「どうぞ」と話しかけることを難しくしてしまうのかもしれません。

双方の希望を同時に叶えるには、妊婦がマタニティマークを身につけるよりも、席を譲る側がその意思を示すことができる「席ゆずります」マークの缶バッジなどのアイテムを、譲る側が見えるところにつけておくことなのではないでしょうか。



「助けて」と言えない子どもに語りかける缶バッジ


昔から日本では、一人の人が家の前の道路を掃除すれば、地域全体が綺麗になるというようにして地域社会を育んできました。

こうした精神を表す「向こう三軒両隣」という言葉もあるように、自分の家の枠内だけでなく隣近所にも何かあれば働きかけようという普段からの姿勢が、誰もが住みやすい街をつくっていくのかもしれません。

昨年、アメリカではレストランの店員が、両親と一緒に訪れた痩せ細った子どもの様子をみて、両親に見えない角度から子どもにメモ書きで「助けが必要?」と問いかけ、11歳の子どもを虐待から救うことに貢献しました。

家に閉じこもりがちだったコロナ禍、アメリカで高校生を対象に行われた家庭内暴力に関する調査で、コロナの影響で自分の親や他の大人が職を失ったと答えた学生は29%に上り、11%の子どもが家庭内で身体的な虐待を受けたと答えたそうです。

子どもを虐待している親は、親自身が人を信用できない状態に陥っているため、知っている人に甘えたり公的な支援を求めたりすることがなく、自身が虐待をしている事実に気づいていない場合もあるといいます。

親が目の前のことに追われて苦しい心境の下、全てを家庭の中に抱え込みがちになっていくと、虐待が起こりやすい状況がつくられてしまうのかもしれません。

裏を返せば、子育てにゆとりのある生活基盤がなかったり、あるいは子どもが何か育ちにくい性質を持っていたりと、親の責任だけではどうしようもないことで親が孤立し、虐待が生まれてしまうということです。



虐待死が起きているのは、極悪人の家庭というよりも、色々な悪条件が重なって社会の様々な支援から遠ざかってしまった家庭

社会との関わりで悪い状態を断ち切れるよう、助ける側から助けを求めている人に気づいてもらおうとする取り組みは、世界でも広がっています。

イギリスには、子どもと接する資格を持ったカウンセラーや教師などの人々が街の子どもたちを守るため、「なんでも話してください。秘密を守ります」と書いたバッジをつけている街があるそうです。

バッジでメッセージが子どもの目に届きやすくなることによって、警察や学校だけではなく、街のあちこちで行き場がなく悪い方へと流されてしまう子どもたちが助けを求められる機会を増やそうとしています。



缶バッジで、カジュアルに手を差し伸べる


社会的なサポートから遠ざかってしまうほど、深刻な問題が起きてしまうと考えれば、そんな状況を生み出しているのは社会の一員でもある私たち一人一人なのかもしれません。

冒頭の韓国で「席をゆずります」缶バッジを製作した方は、「漫画のように、頭上に『席をゆずります』の吹き出しが浮かんでいたら、気楽に私に助けを求められただろうに…」と思ったそうです。

確かに、漫画の丸い吹き出しのようにも見える缶バッジをカバンやジャケットなどの見えやすいところにつけていれば、あまり深刻な印象にならず、助けてもらいたい人にとって近寄りやすい雰囲気をつくることができそうです。



目を引き、気づいてもらいやすい缶バッジは同時に、漫画のように気楽でカジュアルなコミュニケーションを助けるツールでもある

根本的に、世界は「ギブ&テイク」で成り立っているとしたら、自分から何かをしてあげる「ギブ」が先に来るのは、人間社会の真理なのかもしれません。

人助けをしたり人を優先したりして「ギブ」をする人はテイクする人にいいように使われてしまう面もあり、実際、あるエンジニアを対象とした調査では、「ギブ」を大切にする人は仕事の生産性において低い層に多く存在することがわかりました。

しかしながら、同じ調査で判明したのは驚くことに、最も生産性の高い層に存在するのもまた、ギブをする人だったということです。それは、ギブをする行為で人は良い評判を積み重ねていき、次第に人間関係から多くの恩恵を得られるようになっていくためとみられています。

周りの人のさりげない意思表示によって、不安を抱え不自由な状況にある人が少しの勇気を振り絞って気持ちを伝えるはじめの一歩を踏み出しやすくなるとともに、思いやりを行動に移した周りの人もまた社会から少しの幸せを手にすることができるかもしれません。

言い出せない人々が少しの思いやりで救われる、缶バッジでそういったメッセージを広め、あたたかい気持ちになる機会を社会に増やしていけたらと思います。



参考書籍 :
■ NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班「ルポ 消えた子どもたち 虐待・監禁の深層に迫る」NHK出版、2015年
■杉山 春「児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか」朝日新聞出版、2017年
■アダム・グラント「GIVE & TAKE『与える人』こそ成功する時代」三笠書房、2014年