ゲームにもパズルにも「答え」があり、苦労してクリアしたときの快感は何にも代えがたいものがあります。

「答えのある遊び」は子どものおもちゃにも多く見られますが、こうした遊びばかりしている子どもは、例えばままごとやお絵かきなど「答えがない遊び」にも答えを探し始めてしまうようです。

実際、保育所でお絵かきをしている子どもが先生に正しい描き方を聞いてきたり、またその結果、大人が描くようなワンパターンの家や花などの絵しか描けなくなったりしているといいます。



何が正しいのか、遊びの中にも正解を探すことで失われるものはないだろうか

一方、ブロックや粘土で未来都市をつくったり、ダンボールで秘密基地をつくったり、あるいは子ども同士で探検隊ごっこをしたり、子どもの世界にはまだまだ「答えがない遊び」も健在です。

そういった遊びに夢中になっている子どもは、自分たちでルールを調整し、どうすればもっと楽しくなるのかを遊びながら考え、彼らなりの「答え」を見つけています。

「答えのある遊び」「答えのない遊び」を大人の社会に当てはめると、今のコロナに対する各国の取り組みを見ても誰もが納得する一つの答えを導くのが難しい状況下では、私たちは落とし所を自分で見つける「答えのない遊び」の方をプレイしなければなりません。




一年先も見えないような未来を生き抜くために、幼い頃から「答えのない遊び」を楽しめる資質を育てることは有効でしょうが、今の時代、手軽にアクセスできるものは「答えのある遊び」ばかりです。

「答えのない遊び」の中でも缶バッジづくりは子どもから大人までついやってみたくなる遊びの一つであり、その楽しみは他の「答えのない遊び」に人々を巻き込む入り口としても広く用いられています。



缶バッジづくりを、オリジナルのルールで楽しむ


山登り等の自然体験からゴミ拾いのボランティアまで、さまざまな野外活動に取り組む公益財団法人ボーイスカウト。その活動が行われていない国は世界中でたった5カ国しかなく、それぞれの国や地域で活動内容がアレンジされているのだそうです。

日本における活動では夏休みのキャンプなどがあり、静岡県御殿場小山地区のボーイスカウトでは、そのキャンプの思い出に子どもたちが缶バッジを作り、お土産に持ち帰っています。



外で遊ぶような自由な遊びの楽しさを、缶バッジにも応用する

缶バッジづくりには基本的に、その制作ステップ以外にルールはありませんが、このボーイスカウトでは缶バッジづくりにオリジナルの「制限時間10分」ルールを設けています。

初めてつくる缶バッジを10分以内で完成させるには、子どもたちそれぞれが自分の頭で必死に考え、ここぞという集中力を発揮させなければなりません。

そもそも、ボーイスカウトの自然の中での活動には、コントロールのできない天候や地形など、なんとかやり遂げるためにたくさんの工夫が不可欠です。

缶バッジを作るにしても、テントを張るにしても、ボーイスカウトの子どもたちが自分で考えるように活動に工夫をこらしてきた指導者の方は、「今すぐには役に立たないかもしれない。でも大きくなった時に役に立つものを学べる」とお話されていました。




確かに、同じ野外の活動でも、大会に出て賞をもらえるスポーツクラブと比べるとボーイスカウトはすぐには結果に結びつきにくいかもしれません。

けれど、野球人口が世界3,500万に対して、ボーイスカウトが5,700万というのを踏まえても、それぞれに自分でルールを考えてよい「答えのない遊び」の魅力が決して小さくないことは明らかです。



答えを覚えても、100円の価値にしかならない


過去数十年にわたり、学校教育では一つしか答えがない問いを繰り返し解き、子どもが良い成績を取ることで良い将来に近づけると考えられてきました。

しかしながらコンピューターの処理速度が上がり、テラバイトのストレージも一般消費者の手に届く世の中で、「答えがある」ような教育内容はもう、メモリチップに収めると100円くらいの価値にしかならなくなっているそうです。

勉強では普通、分からないことを減らそうとするわけですが、何でも検索できて情報が簡単に脳に外付けできるような環境に移行すると、答えのないことと向き合い、分からないことを増やしていく学びの方が価値が高くなるという見方もあります。



既に答えのあるものに向き合うより、答えのないものに向き合う方が未来に役立つ

昨今、小学校の子どもから「ひらがなを習うと、何の役に立つんですか?」というような質問が飛んで来るといいます。

何をするにも答えを探すようになっていく傾向にありますが、自分なりの方法で「答えのない」缶バッジづくりを楽しんでみると、考える自由が個人から周囲に波及して大きくなっていく現実に驚くかもしれません。

サブカルのまち池袋にあるデジタルアートの専門学校では、進路を考え始めた高校生に向けて缶バッジを使った体験授業を行なっていて、その授業内で高校生に自由に缶バッジをつくって持ち帰ってもらっているそうです。

体験授業を受けた子が缶バッジを普段のバッグなど付けていると「それ何?」とまわりから聞かれるのだそうで、友達つながりで体験授業に訪れる高校生が出て来ているそうです。

さらに、この学校の缶バッジ制作のことを知った地元の警察が「緊急時に地域の外国人を助けるための『通訳』バッジを作って欲しい」と依頼してきたりもして、人々が次々とアイデアを持ち込むようになりました。

こうして缶バッジを入り口に「もっとこうしたらどうだろうか」と、学校と企業の垣根を超えて地域のつながりが生まれつつあります。




これまでの常識が通用しなくなったコロナ禍以降の社会のように、一つの正解が見えない中では、自分なりの問題意識や解決方法を持たなければ落ち着いて日々を過ごすことが難しくなりました。

答えがない問いに向き合うと、自分とは正反対の考えにも出会うでしょうが、そもそも正解がないのですから、「こんなに違う答えがたくさんあるんだ」と気づけたことを面白がるくらいでちょうどいいのかもしれません。

ゲームのように攻略ができなくても、どんな風にも楽しめる缶バッジの「答えがない遊び」によって、自由なアイデアの渦に多くの人を巻き込んでいけたらと思います。



参考書籍:
■しみずみえ「あそびのじかん ― こどもの世界が広がる遊びとおとなの関わり方」英治出版、2016年 
■ダニエル・ピンク(著)、大前研一(翻訳)「ハイ・コンセプト」三笠書房、2019年
■内田樹「下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち」講談社、2009年