アニメや漫画のキャラクターは缶バッジの定番です。

いまや日本のアニメや漫画は、世界に通用する立派な芸術だと言っても、過言ではないでしょう。

「芸術は果たして人生に必要か?」という議論を時々見かけますが、コロナ禍のドイツでは、文化相が「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、我々の生命維持に必要」という方針を示し、文化施設やアーティストを支援する予算を組みました。

芸術は、人間の愛、勇気、怒り、慈悲などといった人間の根本的な感情を表現するものです。

やる気や生きる意味を見出せない時に様々な角度から人間の感情を動かしてくれるという意味では、芸術は人間が生きていく上で、無くてはならないものなのでしょう。

芸術は生きるための必需品。

人間は手や足、指の隅々まで、自由に動かすことができますが、心だけは自らの意思で自由に動かすことができません。

もし、自分の心を自分の手足のように自由に動かせたのなら、悲しい時に笑い、寂しい時に愉快な気分になることができるのでしょうが、残念ながら、人間は自らの意思で心を動かすことはできないのです。

アニメや漫画は、自らの意思では動かすことのできない人間の心を動かす力を持っています。

例えば、ワンピースを通じて感じる仲間の重要性やスラムダンクの名言である「諦めたらそこで試合終了ですよ」という言葉の意味は、どれだけ科学的な根拠が添えられたビジネス本があったとしても、伝えることはできないでしょう。

漫画は人間が唯一自分では動かせない心を動かす。

アニメや漫画のキャラクターが缶バッジの定番となり、バックや文具につけたりするのは、気分が乗らなくても仕事や勉強をしなければならない時に、何か精神的な影響を与えてくれるからなのかもしれません。

アニメや漫画などの芸術は、意味を感じられないものを、意味のあるものにしてくれる。

こういった芸術を缶バッジにして、常に見えるところに置いておくことで、何か精神的なパワーのようなものをもらえるのでしょう。

缶バッジとは身体の中で、唯一動かせない「心」を動かす芸術


漫画やアニメは、ある意味、人間の最も人間らしいところが滲み出ているものだと言えます。ワンピース、キングダム、そして、鬼滅の刃などが流行るのは、コンテンツを見る人たちの何か欠けている部分を満たしてあげているからなのだろう。

そういった意味では、流行る漫画やアニメのストーリー・キャラクターなどの設定は、現代を生きる人たちが何に憧れを持っているかを正直に表しているものなのでしょう。

ワンピースのルフィ、キングダムの信、鬼滅の刃の竈門炭治郎など、彼らは特に外見が良いわけでもなければ、ものすごくお金持ちなわけでもありません。

もし、高級車を乗り回して、タワマンの最上階に住み、イケメンでモテモテであることに多くの人が憧れを持っているのであれば、そういったキャラクター設定の漫画やアニメが一つくらい大ヒットしても良いような気がしますが、そういった傾向はほとんど見られないのです。

漫画は人間の何か欠けている部分を満たしてくれる。

日本を代表する芸術家である岡本太郎は、世の中には「芸術家」と「芸術屋」がいるのだと述べています。

ワンピースの原作者、尾田栄一郎さんは、もう何十年も休みなく漫画を描き続けていますが、漫画家が毎週締切に追われているという話はよく聞く話です。

漫画家は、毎週締切に追われ、漫画の人気が無くなれば、すぐに連載打ち切りという環境の中で、生き残っていくために、漫画家本人が圧倒的な成長を求められているのだろう。

漫画の中でも、大抵、主人公の前に強い敵や大きな問題が現れて、短期間に圧倒的な成長を求められるストーリー設計になっていることが多い。

日本の漫画やアニメが世界で評価されるのは、薄利多売で消費される日本のコンテンツ文化の中で、生き残るために必死でコンテンツをつくり続ける漫画家の感情が作品の中に滲み出ているからなのでしょう。

漫画のキャラクターと同様、漫画家本人も圧倒的な成長が求められる。

漫画家の感情が乗り移った漫画のキャラクターの缶バッジを身につけることで、間接的にその人の感情が揺さぶられていく。

身体の中で唯一動かせない「心」を動かすためには、何かしらの芸術に常に触れている必要があるのです。

身体に栄養を与えるのが食べ物なら、心に影響を与えるものが芸術なのでしょう。

日本文化と缶バッジをセットで世界に輸出していく。


最近では、AIが芸術を作成するという話をよく聞くようになりました。

もはや人間がつくった芸術と区別がつかないほどのクオリティーで、AIが芸術を作成するツールがどんどん登場しています。

先ほど、岡本太郎が述べた「芸術家」と「芸術屋」の話をしましたが、これから間違いなく「芸術屋」はAIに代行されていくことでしょう。

音楽は、音源そのものよりも、アーティストとしての生き様に共感を持つため、AIには代行されにくいと言われますが、漫画家も同じように、漫画家本人と漫画の中のキャラクターの感情が同期している限り、AIに代行されることはないのだと言えます。

「芸術屋」はAIに代行されていく。

芸術と作者の感情が同期していないただの「芸術屋」はどんどんAIに淘汰されていくことになるでしょう。

逆に、ジョン・レノンのようなアーティストは、AIを使って、もっと多くの偉大な作品を作れるようになっていくはずです。

ジョン・レノンの音楽を既によく理解しているAIは、「こういった感じで、曲を作りたんだ!」と指示を出せば、ジョン・レノンのテイストの音楽を何曲もつくって提案してくれます。

どの曲も完璧ではないかもしれませんが、イントロの部分やサビ部分など、使えるところを断片的に繋ぎ合わせて、一つの曲に仕上げていくことで、新しい曲をつくるスピードは格段に上がっていくことでしょう。

これは漫画家も同じことで、「こんな感じのストーリーで漫画を描きたい!」とAIにオーダーを出せば、その漫画家にあったストーリーをいくつも提案してくれます。

優秀なクリエイターはAIを使って、たくさんの作品をつくることができる。

ウィキペディアが生まれて、調べ物の手間が省け、作家の執筆スピードが上がったように、何か新しいものをつくろうとするクリエイティブな人間にとってのAIは、よりクリエイティブなものをつくるための重要な’ツールになっていくのです。

サウジアラビアでは、石油脱却のための新しい経済政策「サウジ・ビジョン2030」を立ち上げ、その政策の一つとしてコンテンツ産業に力を入れており、日本の漫画やアニメにも非常に高い関心を持っています。

日本の独特なコンテンツ文化から生まれた漫画やアニメは缶バッジとは切っても切れない存在であることは間違いありません。

もしかすると、日本の漫画やアニメの文化が輸出されると同時に、漫画のキャラクターの缶バッジを身につける文化も一緒に輸出されていくのかもしれません。

缶バッジと日本の文化は切っても切れない関係。

日本人以外の人も、漫画やアニメから貰う心の栄養を必要としているのでしょう。

キャラクターを缶バッジとして持ち歩くという文化も、日本文化として世界に知られるようになっていくのかもしれませんね。