内閣府が発表しているデータによれば、日本には身体障害者が約393万人、知的障害者が約74万人、そして、精神障害者は320万人います。

これは単純に計算しても、日本の総人口の約6.6%に値し、約15人に1人が何らかの障害を抱えて暮らしていることを考えると、意外と多いと思われる人も多いことでしょう。

また、WHOが2004年に発表したデータによれば、世界65億人の人口のうち、約1億人近くが何らかの障害を持っているのだと言います。

障害を持った方が、一般の社会で暮らしていくことは簡単なことではありませんが、障害者の方は、健常者の人たちが持っていない特別な能力を持っているということに、多くの人は気づいていません。

約15人に1人が何らかの障害を抱えて暮らしている。

例えば、目の見えない方は、「足」が「目」の役割を果たしたり、「手」が「目」を果たしたりするなど、健常者とは異なった器官で、物事を感じ取ろうとすることで、より敏感に様々なものを感じ取ることができるのだと言います。

東京工業大学科学技術創成研究院、未来の人類研究センター准教授である伊藤亜紗さんは、著書「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の中で次のように述べています。

「耳で『見る』、目で『聞く』、鼻で『食べる』、口で『嗅ぐ』」

「大事なのは『使っている器官が何か』ではない。むしろ『それをどのように使っているか』です。」

大切なのは、器官をどのように使っているか。

視力を完全に失いながらも、弁護士になった大胡田誠さんは人は表情を上手く隠すことができても、声や息遣い、抑揚、そして、間のとり方には、初対面の人の前でも、正直なところが出てしまうとして、次のように述べています。

「僕には相手の表情から気持ちや考えを察することができない。けれども、見えないからこそ、かえって本心がよく見えることがある。『目は 口ほどにものを言う』といわれる。でも、僕は『口は目ほどにものを 言う』と感じることが多い。」

石川県野々市市の「にぎわいの里ののいちカミーノ」では、2023年3月25日と26日に、障害者が描いた絵を使った缶バッジ15種類が販売されました。

この取り組みを行った菊義典さんは、「障害者アートは本人の心の内が素直に表現されていることが魅力です。」と述べています。

目が見えないからこそ、人の心がより深く分かるようになる。

アート、音楽、そして、文章などの芸術と呼ばれるものは、自分が感じ取った感性を表現する手段に過ぎず、表現者として大切なのは、その人が常日頃からどういった感性を感じ取っているかという部分です。

生きる意味をより深く理解している障害者の方だからこそ、表現できる芸術があり、缶バッジという身近なもので表現することによって、それが世の中に広がりやすくなっていくのかもしれません。

小さな缶バッジから生まれる大きな生きるエネルギー


日本を代表する芸術家であった岡本太郎は、世の中には自分の生き様を表現する「芸術家」と、過去の芸術のパターンを職人的になぞっているだけの「芸術屋」がいるのだと述べました。

世の中には、アートや音楽などで何かを表現しなくても、生きていること自体が芸術と呼ばれる人たちも存在します。

現在、多くの若者が生きる意味や働く意味を失っている。

恐らく、周りを見渡しても、「新しいスマホや車が欲しい」と悩んでいる人よりも、「いまの職場で働く意味が見つけられない。」、「人生を生き抜く意味が分からない」という人たちの方が圧倒的に多いのでしょう。

物欲よりも生きる意味を探している人の方が多い。

社員の7割が知的障害者である日本理化学工業の大山泰弘さんは、障害者の方が誰かの役に立ちたいと一生懸命働く姿を見て、生きる意味や働く幸せを学んだのだと言います。

これまでは、健常者の人たちが障害者の人たちをサポートしてあげなければならないという意識が強かったのかもしれない。

しかし、生きる意味が見出せない現代のような時代は、健常者が障害者の方から教えてもらうことも多いのでしょう。

むしろ、障害者の方が描いたアートを缶バッチとして身につけることで、何か生きるエネルギーのようなものをもらえるのかもしれません。

生きる意味を健常者が教えてもらっている。

生きる意味を見出せない最近の若い人たちは、クリエイターや芸術家に憧れる傾向にありますが、芸術家としてのスキルを身につけるより先に、生きる意味を見つけなければ、「芸術屋」にはなれても「芸術家」にはなれないのです。

「芸術は爆発だ!」と言った岡本太郎は、東京美術学校を中退してパリに向かった際、最初に向かったのは美術学校ではなく、パリ大学の哲学科でした。

岡本太郎は、芸術のスキルを身につける前に、自身を爆発させるための火薬を手に入れるべく哲学科の門を叩き、自身を爆発させるためのフォーマットとして、絵画や立体作品を選んだのです。

芸術家になる前に、まず生きる意味を見つける。

芸術とは、スキルの表現ではなく、生きる意思の熱量の産物のようなものだとしたら、芸術を表現する行為こそ、人間のあるべき姿なのだろう。

もしかすると、恵まれ過ぎている現代は、「生きる意思」というもの自体が希少化してしまっているのかもしれない。

アラブの大富豪や元ZOZOTOWNの前澤友作さんなどの使いきれないほどのお金を手に入れた人たちが芸術を所有したがるのは、生きる意思を反映した芸術がお金以上の豊かさを与えてくれるからなのでしょう。

普通に生きることが当たり前ではない障害者の方が描くアートには、現代を生きる人たちが一番必要としている何かが、必ず表現されている。

芸術はお金以上の豊かさを与えてくれる。

生きる意思が表現されたアートを缶バッジとして常に持ち歩くことが、精神的な支えになり、お守りのような役割を果たしていくのではないでしょうか。

最終的に歴史に名を刻むのは、ビジネスマンや政治家ではなく、芸術家なのだと言われますが、きっと、私たちは芸術があるからこそ、生きる意味を常にアップデートし続けていけるのかもしれません。

芸術とは、美術館に鑑賞に行くためだけのものではない。

缶バッジとして身につけて、常に生きる意味を確認し、アップデートしていくという新しい楽しみ方があっても良いのではないでしょうか?

参考書籍:
■伊藤 亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』光文社、2015年  
■岡本太郎『誰だって芸術家』SBクリエイティブ、2023年
■福島 智『ことばは光』道友社、2016年
■大山 泰弘『働く幸せ~仕事でいちばん大切なこと』WAVE出版、2009年