世界人口の2.5倍の数が毎年生産されているという「レゴブロック」。

レゴブロックには、カチッとはまるスタッドという突起がついていますが、このスタッドが2×4の並びで8つ付いているブロックたった6個で、9億1500万通り以上の組み合わせが可能なのだそうです。

いろいろな乗り物をつくれるシティシリーズ、あるいはスターウォーズやニンジャゴーなどのテーマに合わせて、レゴでは様々なセット商品が販売されています。

完成形が全く異なるシリーズであっても、こうしたセットで使われているレゴブロックの種類はなんと、7割が同じものといいます。



ブロックたった6個で、9億1500万通り以上の組み合わせがある。

とはいえ、2000年代、レゴがユニークなブロックをつくる方向に進んでいた頃はいろいろなレアなブロックがつくられ、レゴセットの9割以上が利益を生んでいないと判明したこともあったとか…。

それが、レゴのブロックにユニークさよりも汎用性が重視されるようになると、利益率アップのみならず、レゴのデザイナーたちの間では「少ない選択肢でどうつくるか」と創造欲がかえって刺激されたそうです。



世界140カ国で人々が購入し、同じブロックを使って、生き物から建築物、アニメのキャラまでつくりだす

振り返れば昔の人は、多くの制限の中で暮らしていました。

たらい一杯のお湯で体や髪まで全身を洗ったという昔の人々は、どこから洗うか、最もいい方法は何かと考えて水を使い、このように制限が多い日常で絶えず、クリエイティブに趣向を凝らしていたのかもしれません。

時代は便利さを追求し、なんでも「ある」ことが当然になってしまいましたが、その一方でレゴあるいは文字数の制限されたツイッターなど、「ない」ことの方にある価値が見直されつつあるように思います。



「ある」ことより「ない」から創造性が生まれる。

私たちが缶バッジを通じて、創造する力を刺激したいと考えるのも、パーツが少なく制限のある缶バッジづくりには際限のない創造の可能性があるからです。

実際、おなじみの丸い缶バッジは、デザインを描いた紙、紙をコートするフィルム、そして金型2つと、必要なパーツが4つしかありません。

缶バッジはたった4つのパーツでできている、というとシンプルすぎるように思われるかもしれませんが、多くの場合、人は限られた自由を最大限生かそうとすると創造性が掻き立てられるようです。



基本のバッジは、4つのパーツをマシンで組み合わせてつくる。金型についているピンは普通の安全ピンと違い、横倒れせずに針の出し入れが簡単に工夫されたもの。

缶バッジづくりのワークショップでは、「もう1回、もう1回」と親御さんが子どもからねだられる場面がよく見られます。

自由にできる部分が少ない缶バッジの場合、つくるとなった時の取り掛かりも早いですし、つくった後にやり直したいと思う部分もはっきり見えますので、もう1回やらずにいられない気持ちになるのもわかります。

そんな缶バッジづくりでは、それぞれが迷いなく工夫を実践でき、楽しい雰囲気に包まれています。



「壁一面に描いていいよ」と言ったなら、つくることを楽しめただろうか?

制限の多い缶バッジづくりに取り組むと創造する力が湧いてくる一方で、現代の人は多くの自由を得ているために、創造することは時間がかかり、苦しいことだと当たり前に思うようになってしまった面はあるのかもしれません。

思えばかつてチェコスロバキアでは、表現の自由がなかった社会主義下においては、マッチのラベルにもアイデアを駆使したデザインが溢れていたそうです。

それが表現の自由が認められてしまってからはなぜか、店名が大きく書かれたつまらないデザインのラベルばかりになってしまったといいます。



自由にできる範囲が狭いことで、工夫が生まれる

創造性にあふれた人は、180度違う人間のように思われがちです。

しかしながら、そもそもクリエイティビティというのは生まれ持った才能ではなくて、ある調査によると、クリエイティブな思考における個人差は、22%にとどまるそうです。

レゴのブロックで数メートルの構造物をつくる「レゴ認定プロビルダー」と呼ばれる人がいますが、彼らがそれほど創造を楽しめるのは、レゴがシンプルさを極めたブロックだからということもあるでしょう。

ブロック一握りで何億通りもの組み合わせができるというように、缶バッジも小さな丸の中に無限のバラエティがあります。



バッジづくりなら、創造することは難しくなく、楽しいことになる

私たちは今、世界的なパンデミックで外出もままならず、未曾有の経済危機にあります。

1930年代の世界的な大恐慌下でレゴが生まれたのは、オーレ・キアクという一人の大工の「よく遊べ」という信念によるもので、先の見えない不安の中でも子どもたちを楽しませたいという思いがあったようです。

私たちもこんな時代だからこそ缶バッジを介して、自由のきかない暮らしの中でも創造する力、工夫する楽しさを刺激したいと感じています。