昭和の時代、街の喫茶店やレストランのテーブルの隅によく置いてあった「ルーレット式おみくじ器」。「ああ、あれのことか」と閃いた人も多いでしょうが、こちらは側面に星座がデザインされた球体のマシンで、100円玉を入れてレバーを引くとマシン上部のルーレットが回り、運勢の書かれた筒状のおみくじが出てくる仕組みになっています。

開発に3年を要したというこのおみくじ器は、全盛期には年20万台の出荷数を記録したそうですが、家族経営の喫茶店など個人店の数が減少するとともに目にすることがなくなっていきました。

しかしながら、10年前頃から昭和を舞台とするテレビ番組で見かけるようになって昨年のNHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」にも登場し、現在では月に150〜200台がコンスタントに売れているのだそうです。

製造しているのは岩手にある町工場で、注文を受けた個人のお客から「昔、やってみたかったんです」といった声が寄せられているといい、このマシンが今人々に数十年前の懐かしい思い出の時間を蘇らせていることがわかります。



喫茶店のテーブルの定番だった「ルーレット式おみくじ器」。家族や恋人との思い出が語り継がれ、地元を代表する商品として、滝沢市のふるさと納税の返礼品としても採用されている。

思い返せば90年代以降、街中には喫茶店やレストラン業界にチェーン店が増え、それぞれに熾烈なブランド戦略が繰り広げられるようになり、店内にはその店の商品や宣伝POP以外のものを見かけることはなくなっていきました。

しかし数年前からまた、個人の経営するカフェなどを中心に、店舗のテーブルや空間の隅で本業とは別に、地域の人が手軽に遊びに来れるよう、プラスアルファのサービスを提供するスタイルが広まっています。

缶バッジもそうした店舗空間の運営に活用されており、実際、つくば市にあるスペシャルティコーヒー豆の専門店でも、店内に塗り絵や缶バッジガチャガチャのスペースを設け、コーヒー店でありながら小さなお子さんまで楽しめる店づくりをしています。



缶バッジガチャガチャは、店の敷居を低くする


こちらのスペシャルティコーヒー豆の専門店では街のデモグラフィックに関するリサーチを行い、住人には子育て世代が多いことを把握していました。

そこで、子どもが退屈せず、大人がゆっくりとコーヒー豆を選ぶことのできる大人が子どもを連れて来やすい店にする工夫が施され、店舗のすみっこのテーブルには、塗り絵や缶バッジのガチャガチャが配置されることになったのです。

すると、来店した子どもは缶バッジのガチャガチャに、また親御さんはコーヒー豆選びに、それぞれの店での時間を楽しめるようになりました。




スペシャルティコーヒー豆の専門店「トライブ」の缶バッジガチャガチャで出てくる缶バッジは全部で50種類もある。コンプリートを目指して「トライブに行こう」と親を店に引っ張ってくる子どももいるとのこと。

“子ども”と“コーヒー”はそこだけ見れば相容れない組み合わせです。

ところが、店に缶バッジガチャガチャのような子どもの好きなものがあるだけで、敷居が高いイメージのスペシャルティコーヒー豆の専門店がお母さんやお父さんにも優しいお店に変わります。

缶バッジガチャガチャを始めて10年になるこちらのお店では、缶バッジで喜んでいた地域の子が大学生になって彼女を連れて来店し、「俺、昔ここでガチャガチャやってたんだ」と思い出を語る様子を見かけるようになったそうです。

子どもからその子どもへと缶バッジによって世代がつながり、今後も店が地域に長く愛されるものになってほしいと願いをかけるようにして缶バッジガチャガチャは運営されています。



「いい時間を過ごせる」個人店は、大手を凌ぐ


缶バッジガチャガチャや前出の「ルーレット式おみくじ器」が人々の懐かしい時間を思い起こさせるように、私たちが昔訪れたお店のことで思い出すのは、メニューにある食べ物や飲み物といったコンテンツに限りません。

コンビニもコーヒーチェーンも苦戦すると言われるイタリアでは、コーヒーを出す街角のバール(コーヒー中心の飲食店)の店員が、赤ちゃんのためにお湯が欲しいと哺乳瓶を渡されれば、煮沸消毒し人肌に温めたミルクを出してくれたりもするそうです。

そして、店員はお客が滞在するたった数分の時間をとことん気分のいいものにするために、お客が左利きなら左側にスプーンをまわして出すというくらいに人に優しいサービスをするといいます。

そういった街のバールで得られるひとときは、イタリアの人々にとって世界スタンダードな商品やサービスよりも素晴らしいものに違いありません。

お客の気分を良くすることに信念を持ってイタリアのバールが運営されているように、「いい時間を過ごしてもらう」ということを追求するのが、個人の店舗が大手に対抗する一番効果的な手段なのかもしれません。



いい気分を味わった客は戻ってくる。初めて街を訪れたお客も、たまたま入ったバールで受けた温かい応対によって街そのものに良い印象を持ってしまう。

実際、昨今ではお店で過ごす時間を豊かにする工夫がさまざまに発揮されているようです。

ある東京のカフェではお店のすみっこでクイックマッサージを提供する「すみっこサロン」が運営されていて、カフェという入りやすい空間のすみっこで手軽に癒しが味わえるスタイルが人気となり、一時期は訪れる客がほとんどマッサージ目当てというときもあったといいます。

缶バッジガチャガチャも店の片隅にありながら、それを目当てに訪れる子どもにとっては店での一番の思い出となり、繰り返し店に足を運んでもらうきっかけとなっています。



お店がお客に提供しているのは「時間」。いい時間はいい思い出になり、人々を長く惹きつける。

「どうすればいい時間を過ごしてもらえるか」を本業の枠外にまで広げて追求するなら、手軽にプラスアルファの楽しみを提供する、すみっこスペースの可能性はまだまだ発展途上なのではないでしょうか。

誰もがつい心を惹かれてしまう缶バッジガチャガチャによって、地元のいい思い出となるような、人々に優しいお店が地域に増えていったらいいと思います。



参考書籍 :
■ 「今やふるさと納税返礼品、『ルーレット式おみくじ器』は、なぜ令和まで生き残ったか」週刊女性PRIME、2021年3月31日
■島村 菜津「バール、コーヒー、イタリア人~グローバル化もなんのその~」光文社、2007年
■ナカムラ クニオ「人が集まる『つなぎ場』のつくり方 都市型茶室『6次元』の発想とは」CCCメディアハウス、2013年
■影山知明「ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~」大和書房、2015年