2023年の10月、似顔絵をあえて下手に描いて、その似顔絵で缶バッジをつくるというユニークなワークショップが、新潟県上越市の光源寺で行われました。
ワークショップのテーマは「いかに下手に描くか」で、参加者は2人1組になってお互いの似顔絵を描いていきます。
ワークショップを主催した現代アート作家の渡辺英司さんは、下手に描くことについて、次のように述べています。
「上手に描くというのは方法を教わる。描き方を教わると描き方のほうが重要になってしまう。『いかに下手に』というのは『1番無邪気にいい絵を描くには』の裏返し」
絵に関わらず、音楽にしても、文章にしても、何にしても、大人になるにつれて、いかに上手く行うかという意識が強くなってしまい、「私なんてとても無理」と、大抵のことを躊躇するようになってしまいます。
むしろ、最近では生成AIの登場で、上手い絵が瞬時に作り出されますが、なぜかそこに親近感を覚えないのは、「下手でもいいから一生懸命描く」という人間味の部分が欠けているからなのでしょう。
世の中的にも、より効率的に、より綺麗に、よりスピーディーになどと言った感じで、世の中がより良い方向に向かっているような気がしますが、なぜか漠然とした違和感を感じてしまうのは、一番大切な人間味の部分が抜け落ちてしまっているからなのかもしれません。
いままで行っていたやり方を見直し、たとえ下手で効率が悪かったとしても、人間味を感じる方向へシフトさせていくことが、現在、求められているのでしょう。
世の中が求めているのは、上手なものではなくて、人間味が溢れているもの。
農学者の小泉武夫さんは、臭みを消すことばかり行っていると、日本人の個性や特徴はどんどん衰え、民族としての力も失ってしまうとして次のように述べています。
「うんちの匂いをよく嗅ぎなさい。街に落ちている銀杏を踏み潰したら、銀杏の匂いを嗅ぎなさい。納豆をかき回しながら、深呼吸してその匂いを心ゆくまで嗅ぎなさい。たまには、自分の靴下をぬいでその匂いを嗅ぎなさい。自分の股間の匂いを嗅ぎなさい。自分の耳の裏の匂いを嗅ぎなさい。 」
「自分の匂いを嗅ぐということは、自己を確認する行為でもある。そのようにして匂いを時々嗅いで、生きていることを実感し、たくましく生きていくための確認のひとつにしなさい。」
職場にしても、テクノロジーや数値化するための様々なツールをどんどん導入することで、非効率なものや泥臭いものが排除され、そこにくっついていた人間味というものまで一緒に剥ぎ取られてしまっています。
本田宗一郎や松下幸之助などといった一昔前の日本のリーダーは、実際に会ったことはなくても、写真や書籍を通じて、人間味のあるリーダーということが分かりました。
しかし、現代の大企業のリーダーからは、こういった人間味を感じることが少なくなりました。
むしろ、最先端の企業を経営するイーロン・マスクのようなリーダーは、日本の大企業のリーダーが絶対に言えないような個人的な感情をSNSで普通に言ってしまい、そこに人間味を感じて、イーロン・マスクを好きになる人も増えています。
あるコールセンターを対象にした調査では、休憩時間にオペレーター同士がしっかりと顔を合わせて、人間味のある交流をしたことで、平均的な顧客対応時間をコールセンター全体で8パーセント、効率の悪いチームと比べては20パーセントも削減することができたのだと言います。
また、商品のマーケティングやブランディングに関しても、地球の運命を本気で心配し、責任ある企業を応援したいと考える40歳以下の世代に対しては、どれだけ著名人を使って宣伝しても、人間味のない声でアプローチしていては商品の良さを届けることはできません。
エアビーアンドビーがヒルトンや大手ホテルグループを超える企業価値を生み出すようになったのは、一昔は旅行の中に当たり前に存在していた人間味を民泊といった形で復活させたからなのでしょう。
スターバックスにしても、ここまで大きくなったのは、コーヒーの味以上に、顧客とスタッフとの人間味のあるコミュニケーションに重点を置いたからなのだと言えます。
スターバックスのCEOであったハワード・シュルツは1998年に出版した「スターバックス成功物語」という本の中で、次のような点を心配していました。
「危険なのは、会社が大きくなるにつれて、パートナーも顧客もスターバックスが人間味を失ってきたと感じるようになることだ。 」
「われわれがこれまで競争上の優位に立ってこられた理由は、パートナーと信頼関係で結ばれていたからだ。 」
「それでは、社員数二万五〇〇〇人の企業から五万人の企業になった時、いかにしてこの関係を保つことができるのだろうか。」
恐らく、明確な答えがない時代に人の心を動かせるのは、どこかかっこ悪く、とにかく人間味が溢れるリーダーなのだろう。
漫画の人気のあるキャラクターにしても、とにかく人間臭いキャラが多い。
その嘘のないリアリティーこそが、視聴者に安心感を与え、時代に必要とされる本質的な魅力を生み出しているのだろう。
缶バッジのデザインにしても、上手く描こうとするとどうしても腕が止まってしまいます。
しかし、実際世の中が本当に求めているのは上手いものではなく、人間味があるものだとすれば、気持ちがどんどん楽になっていくことでしょう。
人間味のあるものがデザインされた缶バッジをつけて歩くことが、少しずつ人間味のある世界をつくっていくのかもしれません。