都会にいる時と豊かな自然がある環境にいる時の幸福度は、一人でいる時と友人でいる時の差よりもはるかに大きく、何もしていない時と歌やスポーツなど好きなことをしている時の幸福度と同等のものになるのだと言います。

また、都会で暮らす人が15分公園で過ごすだけで、気分が前向きになれるのだと言い、科学誌「プロスワン」によれば、ほんの数日間、自然の中で過ごしただけで、50%も創造性が向上したのだそうです。

日本の67%が森林で、先進国でも珍しく自然が多く残っている国ですが、恐らく日本人自身が、この自然の価値には気づいていないのでしょう。

日本人自身が、日本の自然の価値に気づいていない。

日本人は、他国や西洋の文化を日本流に理解して、現代の日本文化にそれとなく自然に取り入れる事が得意ですが、自分たちの身近にあるものや伝統に対しては、興味が薄いという部分がよく欠点として挙げられます。

立派な文明社会がありながら、これだけ多くの自然が残っていることの価値をしっかり理解している日本人はあまり多くありません。

高知県にある佐川町という町は、佐川町出身の植物学者、牧野富太郎博士ゆかりの植物をデザインしたオリジナル缶バッジを集める「植物缶バッジラリー」を昨年行いました。

缶バッジには、バイカオウレン、ジョウロウホトトギスなどの缶バッジがデザインされ、指定された場所を周り、500円以上の買い物をすると、異なったデザインの缶バッジをもらうことができます。

ポケモンGOのようなゲームが、ユーザーを室内から屋外へ連れ出したように、日本人が日本の自然に触れるキッカケをつくるためには「植物缶バッジラリー」のようなエンターテインメントが必要なのかもしれません。

THE NORTH FACEの創業者、ダグラス・トンプキンスは、自然の中に入るのは、単なる趣味ではなく、自分が自分であり続けるために、必ず必要なことなのだと述べました。

自然は、自分が自分であり続けるために必要なこと。

ダグラスはチベット、スイスアルプスなど、世界の様々な自然の中に入って、そこで得たアイディアを側近の人たちにぶつけることで、事業を拡大していきました。

ダグラスは自然の中に入って、手ぶらで帰ってきたことはないと言いますから、事業を大きく拡大するアイディアは都市にではなく自然の中に落ちているのかもしれません。

教祖がいない日本の神は自然


日本人の多くは、神道を何らかの形で信じていると言われます。

仏教には仏陀が、キリスト教にはイエスが、イスラム教にはマホメットという教祖がいますが、日本の神道には教祖というものがいません。

日本の祖先が、大自然の中に宿る神秘性のようなものの中に、敬意や感謝のようなものを持っていたのであれば、日本人にとっての教祖は自然ということになるのでしょう。

スイスのジュネーブ大学教授であった故ジャン・エルベール博士は、神道を深く研究し、1000人の神主・神道家に話を聞いたと言いますが、それぞれの神主・神道家から同じ言葉や話を聞くことはなかったのだと言います。

大自然の中に神がいると信じている日本人にとっての神様は、イエス・キリストのようなシンボル的なものではなく、人それぞれイメージが違うのだろう。

日本には自然が多く残されている分、自然災害も多い国です。人の心が不安定になると、天災地変の数も増えていくと言われますが、自然という神(創造主)と共存する生き方こそが、心を安定させ、天災地変から身を守る方法の一つなのでしょう。

日本人にとっての教祖は自然。

よく自分を知るためには、自分の内側を徹底的に見つめ直す必要があると言われますが、実際、自分を知るためには、その逆のことをしなければなりません。

自分の外側に目を向け、自然や他の人々に心を開き、自己ではないものを受け入れることで、自分がどう生きるべきかが定まっていくのです。

世界中どこへ行っても、日本ほど季節がはっきりと分かれている国はありません。日本語には「季節」という言葉とは別に独特の季節感を表現する「旬」という言葉がありますが、英語にはSEASON(季節)という言葉があるのみで、「旬」という言葉ほど、季節の深みは表現されていないのです。

現在、世界の富裕層たちは、その国や地域にしかない独自の自然を求めて旅行に出るのだと言います。

これまでのグローバリズムのラグジュアリーが世界中どこへ行っても同じような高級ホテルだったのに対して、これからのラグジュアリーは、その地域や国に根付いた独自のローカリズムから生まれます。

日本には「季節」という言葉の他にも「旬」という言葉がある。

そして、必ずしも快適とは言えない大自然の中で、自身のコンフォードゾーンの外に出る体験こそが、本当の意味でのラグジュアリーと呼ばれていくのでしょう。

都会のオフィスで働きながら、どれだけSDGsと笛を吹いても、説得力がありません。サーファーや登山家は常に自然と接しているからこそ、起こりうる環境問題に早く気づくことができます。

都会に住む人たちが自然に触れるキッカケは、ポケモンGOのようなゲームでも、佐川町が行った「植物缶バッジラリー」のようなものでもよいのでしょう。

最初は缶バッジを集めることが目的だったとしても、少しずつ自然の中で過ごす時間が増えることで、自然の中で過ごすことの意味が分かってくるのではないでしょうか。

アイディア不足を感じたら、自然の中に飛び込むというのが、21世紀の発想法なのです。