人の幸せもストレスも一番の要因は人間関係というのが、さまざまなリサーチによって明らかにされていますが、人間関係に恵まれていなくても、漫画、アニメ、小説、ゲームといったコンテンツに救われている人はたくさんいます。
誰にも理解されないと思っていた人が、ふと手に取った漫画の一コマから「ここに自分の痛みが描かれている」とハッとし、自分を理解してくれる世界を知るという話などは珍しくありません。
例えば、コロナ禍の真っ只中だった2020年、日本でも出版された韓国人著者のエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』は、韓国で28万部超、日本で15万部のベストセラーとなりました。
本の中では、韓国一の難関美大に通っていた著者によるイラストも多く使われ、彼が40歳を前にノープランで会社を辞めてから朝から晩までパンツ一丁でぼんやりと過ごす様子なども描かれています。
そのレビューには「これは自分だ」「自分だけじゃなかった」「少しだけ救われたような思いがした」という言葉が並びました。
人生苦もあれば楽もあるでしょうが、どん底で無気力な状態から私たちが抜け出すきっかけは、自分に語りかけてくるようなコンテンツの言葉だったりするものです。
さまざまなコンテンツの中でも漫画のグッズとして広く用いられている缶バッジにおいては、従来のようなキャラクターメインのものだけではなく、名作漫画のワンシーンを缶バッジにしたサービスなども登場しています。
連載スタートから四半世紀を迎える尾田栄一郎さんの人気作『ONE PIECE(ワンピース)』は、これまでに101巻(2022年2月)が発売されており、そのコミックス累計発行部数は今年中にも5億部に到達する見込みです。
この『ONE PIECE(ワンピース)』の発行元である集英社の麦わらストアは、2015年より漫画から名言シーンをそのまま切り取った缶バッジのコレクションをセット販売しています。
感動の一片(ワンピース)を集めようという、こちらの原作缶バッジシリーズ「回想録の一片」では、これまでに「絆」「誇」「繋」の3つのテーマで選ばれた名場面が缶バッジになりました。
第1話で麦わら帽子を被せられて麦わらのルフィが誕生する「この帽子を お前に預ける」というセリフのシーンなど、読者であれば多くの人がそれを読んでいた当時の自分が思い浮かぶほど印象的な缶バッジとなっています。
『ONE PIECE(ワンピース)』においては名台詞がSNS等のコミュニケーションでもよく使われ、昨今ではこの缶バッジのようにタクシーの窓ガラスに名場面の一コマを映し出したサイネージ広告も登場しました。
ネイルのように缶バッジを身につける。
デジタル化が進んだ今では、心を震わせるような魅力的なコンテンツにスマートフォン一つでアクセスできます。
現代の漫画には「絶望」ブームが起こっているという話もありますが、「人生に希望が持てない」と気を落とすことがあっても、まずは誰にも遠慮せず、自分の心が動くコンテンツを探すことで救われるかもしれません。
実際、コロナ禍では多くの人がさまざまな不安を抱え、在宅に生活が偏ったことで同居している家族やパートナーとの関係の中でストレスが増えたという調査報告もあるなど、私たちは行き場のない悩みを抱えるようになりました。
厚生労働省と警察庁の公表しているデータでは、女性の自殺者が2020年6月から2021年にかけて11カ月連続で前年を超えており、中でも目に見えて自殺者数が増加していたのは「同居あり女性」だったそうです。
その背景には、家族の休校や在宅ワークなどでライフスタイルが変わり、家族それぞれのストレスが今まで以上に母親である女性に向かうようになっているからではないかと考えられています。
よく女性がネイルをするのは、自分の目につくところがケアされていると気分が上がるからだというように、コンテンツを缶バッジにして自分に見えるように持っておくことが、思うよりも大きな救いになるかもしれません。
漫画も缶バッジも自分の基準で選べる時代がやってきた。
コロナ禍の2020年、マンガ雑誌・コミックス・電子書籍を含めたマンガ全体の推定販売金額が少年ジャンプ全盛期を迎え、マンガ市場のピークとされていた1995年の金額を上回り、過去最高となったそうです。
出版社では長く年齢層や性別で雑誌を区別してきましたが、電子書籍がコミック市場のメジャーになってからというもの、読者は自分が楽しめるものを縦横無尽に探索できるようになりました。
例えば、従来のカテゴリーでは少年漫画と捉えられる漫画、『進撃の巨人』『テニスの王子様』他、たくさんの女性読者が生まれた漫画もあり、少年漫画のグッズにハート型の缶バッジも人気です。
こうしたコンテンツ消費の動きをみると、すぐには変えられない現実社会で、コンテンツの世界により多くの人が没入するようになっている現実が見えてきます。
スタジオジブリの宮崎駿監督は、自身の長編映画引退会見で「アニメーションというのは、“世界のひみつ”をのぞき見ること」という言葉を残していました。
確かに私たちは自分のひみつをコンテンツに重ね、救われたような気持ちがしているのかもしれません。
今や好きな対象(推し)をさまざまな形で応援する“推し活”も分野問わず広く認知され、“推し活グッズ”の一つとして、缶バッジコレクションを並べて収納し持ち歩くことができるお出かけバッグなども見かけます。
そのコンテンツの缶バッジを集め、常に身近に感じていたいと思えるほど愛着が湧くモノとともにあることは日々の心の支えになりそうです。
前出の『あやうく一生懸命生きるところだった』のように、私たちはもしかしたら現実社会の人間よりも、ふと出会った作品に力をもらいながら、ままならない日々に折り合いをつけて前に進んでいることが多いのではないでしょうか。
「わかっちゃいるけどやめられない」の『スーダラ節』も今では大ヒット作として知られていますが、当時誰もが復興に勤しんでいた戦後の時代、歌うのを渋る植木等さんにハナ肇さんは「これを聴いた人はホッとするんだよ。だから歌え」といって背中を押したそうです。
私たちもふと逃げ出したくなるような人々の暮らしの中に、一つでも多くのコンテンツのパワーを缶バッジによって届けていきたいと思います。
参考書籍:
■鈴木 裕介「我慢して生きるほど人生は長くない」アスコム、2021年
■ハ・ワン(著)、岡崎 暢子(翻訳)「あやうく一生懸命生きるところだった」ダイヤモンド社: 第1版、2020年
■堀田 純司「”天才”を売る 心と市場をつかまえるマンガ編集者」KADOKAWA、2018年
■戸井 十月「植木等伝『わかっちゃいるけど、やめられない!』」 小学館、2010年