マーケティングやブランディングの世界では、商品やサービスの良さを顧客に訴えかける際に、大きく分けて2つの部分を訴求していきます。
一つは商品の機能性をアピールしていくもので、スマホであれば、「どれだけ画質の高い写真が撮れるのか」、「どれだけスペックが高く、軽量で持ち運びやすいか」などを訴求していくもの。
もう一つは、近年、多くの企業が力を入れている「精神的付加価値」、「情緒的価値」などと言われるもので、機能性の部分を通り越して、人間の「心」に直接訴えかけるもの。
レッドブルやナイキは莫大な時間と予算をかけて、誰にも真似できない精神的付加価値を生み出しています。
それに対して、大きな予算が取れない中小企業は、顧客の人生の時間軸を上手く利用し、「懐かしさ」と「珍しさ」のバランスを取ることで、新しい精神的付加価値を提供することができます。
例えば、グーグルやアップルなどビッグテックと呼ばれる企業で働く若者たちは、ニューヨークや東京にあるオシャレで、最先端のオフィスで働くよりも、郊外のレトロな建物や古民家をリノベーションしたコワーキング・スペースなどで仕事をしたがります。
40代、50代の人たちにとっては、どこか子供時代を思い出させる古民家の雰囲気が残るオフィスは「懐かしい」ものになることでしょう。
しかし、子供時代に古民家の思い出を持たない20代の若者たちにとっての古民家は、自分がまだ見たことない「珍しい」ものになっていくのです。
缶バッジも、40代、50代の人たちにとっては、昔、カバンにつけた懐かしいものであるのに対して、子供の頃から、オンラインにいることが当たり前であった10代、20代の人たちにとっては、リアルな世界で自分をアピールするための最先端のツールになっていくことでしょう。
世代の時間軸を考慮し、「懐かしさ」と「珍しさ」のバランスを取りながら、心に新しい付加価値を提供していくことが、今後のマーケティングには求められるのです。
缶バッジに触れることが、DXで失われた身体や精神の感覚を取り戻す。
銭湯業界の売上は、ここ10年は縮小傾向にあるのだと言います。
一昔前は、「裸の付き合い」、「銭湯すたれば人情すたる」とも言われ、銭湯は、人々が交流するサードプレイス的な存在でした。
缶バッジにしても、カバンにつけながら、多くの人がコレクションとしての意識を持っていましたが、現在では、ミニマリスト的な価値観が広がり、すべてをDX化して、NFTのコレクションを集めることに夢中になっています。
最近は、「コスパ」ではなく、「タイパ(タイム・パフォーマンス)という言葉も生まれ、どれだけ時間を効率的に使えるかという観点から、買い物、人間関係などの様々な体験がDX化されつつあるのでしょう。
恐らく人間は、DX化やメタバース化が進むことによって、身体の実感や精神性のようなものをどんどん失っていく。
このような背景から、銭湯業界では、世代交代が行われるにつれて、「懐かしさ」と「珍しさ」を混ぜ合わせた様々な試みが行われはじめています。
昨年の夏には、「夏休み!!ガラスびん×地サイダー&地ラムネ in 銭湯」という銭湯イベントは9年目を迎え、106の銭湯と44の銘柄の地サイダー・地ラムネが参加した一大イベントになりました。
銭湯に訪れたお客さんが、ガラス瓶入り地サイダー・地ラムネを購入してスタンプを集めるというもので、1本購入するたびに1スタンプを獲得でき、スタンプが3個集まると瓶の王冠のような縁取りでデザインされた限定缶バッジが2個プレゼントされるようになっています。
プレゼントされる缶バッジのデザインも、今年は17種類にまで増えました。
いまやサードプレイスの代表格となっているスターバックスも、かつてのカフェのスタイルを少しアレンジし、時代のライフスタイルに合わせて、長くくつろげるような場所へと変化させていったのです。
DX化がどんどん進み、多くの人が身体の実感を失っていく中で、デザイナーや芸術家の世界では、「手の中に脳がある」、「指は第二の脳である」という考え方が浸透しています。
人間のすべての感覚器は、皮膚の細胞から発展したものだと言われ、触覚情報は視覚情報よりも何倍も多い情報量を持っている。
銭湯で人情に浸り、ラムネの瓶や缶バッジを実際に手で触ることで、DX化で失われた身体の感覚を徐々に取り戻していくことができるのかもしれません。
「手」で情報量が高いものに触れることで、脳に刺激が行き、「頭」で意識することではじめて、精神的な「心」を取り戻していくことができます。
缶バッジを実際に手で触ることは、手の中にある脳を活性化させるためには持ってこいの手段なのかもしれません。
DXやメタバースより楽しい世界をつくれば、人々はリアルの世界に戻ってくる。
身体や精神の感覚が研ぎ澄まされているということは、ある意味、霊性が強いということでもあります。
霊性が強いということは、目に見えないものを信じる力が強いという意味で、生きる力が強いという意味として捉えることができるのかもしれません。
よく少食にすると霊性が高まると言われますが、もともと、わび・さびの文化を大切にし、規則正しい食文化を持っていた日本人は、霊性が強く、目に見えない力のようなものをずっと大切にしてきたのです。
一昔前の「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などのアニメを見ても、お化けや妖怪は、どこか親しみを感じる人たちが多いことでしょう。
しかし、近年、人間がオンラインで過ごす時間が長くなり、身体や精神の感覚が徐々に失われ始めると、アニメや漫画に出てくるお化けや妖怪もどんどん悪いものに変化していっています。
例えば、「鬼滅の刃」では鬼、「呪術廻戦」では怨霊、チェンソーマンでは悪魔と、霊的なものがどんどん怖い存在に変わっていっている。
フェイスブックの創業者、マーク・ザッカーバーグは、メタバースの世界では、「げっぷ」さえもリアルに表現できると述べていますが、世の中がDX
化されればされるほど、人間の霊性はどんどん低くなっていくのでしょう。
こういった背景が直接関係しているかは分かりませんが、新潟にある古町商店街では、妖怪と缶バッジを組み合わせた「にいがたのようかい わーくわくっ」という取り組みをスタートさせました。
こちらは、商店街を訪れる人々に、商店街のアーケードや小さなお店に潜む、見えないけれど存在する妖怪を商店街を巡りながら楽しんでもらおうというものです。
商店街の有志の店主はそれぞれに、「この商店街にいそうだな」と想像した、地域や店主、商品に似た特徴を持つオリジナルの妖怪を生み出しました。
店主たちのつくりだした妖怪はポップなデザインの缶バッジになり、ガチャガチャに入って商店街にいくつか設置されています。
商店街の宿泊施設では「妖怪宿泊券」、書店では「妖怪しおり」、レストランでは「妖怪オムライス」など、それぞれの店舗でも妖怪をモチーフにした商品やサービスを提供しているそうです。
さらに興味のある人は「新潟妖怪研究所」の会員となって妖怪をより深く知り楽しめる、妖怪好きのコミュニティに参加できるようになっています。
結局、SNSやメタバースなど、オンラインの世界にどんどん人が流れてしまうのは、リアルの世界よりもオンラインの世界の方が、楽しいからなのでしょう。
銭湯にしても、商店街にしても、時間軸を上手く利用し、「懐かしさ」と「珍しさ」のバランスを取りながら、オンラインの世界が一番苦手とする質感、温度感、そして、空気感のようなものに軸を置いた新しい価値を提供していかなければなりません。
人間は従来、皮膚を通じて、直接「手」で何かを触ることで、情報を感覚的に理解し、その情報をもとに頭で考えることで、徐々に心を変化させてきました。
缶バッジは、小さなお土産やノベルティ程度に過ぎませんが、ずっとそこに物体として残り続けることが、「精神的付加価値」、「情緒的価値」を顧客に与え続けていきます。
缶バッジをマーケティングやプロモーションに取り入れることで、「懐かしさ」と「珍しさ」の両方を提供できるのではないでしょうか。
参考書籍
■廣中 直行『アップルのリンゴはなぜかじりかけなのか?~心をつかむニューロマーケティング~』光文社、2018年 ■矢作直樹, 神原康弥『日本の霊性を上げるために必要なこと』徳間書店、2020年 ■細尾 真孝『日本の美意識で世界初に挑む』ダイヤモンド社、2021年