どれだけ使いきれないほどのお金を手に入れても、ただのお金持ちが歴史に名を残すことはまずありません。
よく歴史に一番多く名を残すのは、ビジネスマンでもなければ、政治家でもなくて、その時代にしか表現できないわび・さびのようなものを表現した芸術家だと言われるように、どんな時代であっても、芸術は人間にとって不可欠なものなのでしょう。
現代でも、資産家が大枚をはたいて、芸術を購入したりしますが、歴史的に見ても、特に欧米では、権力者は芸術作品を手に入れるためには労力を惜しまず、芸術と権力は深い結びつきを持っていました。
したがって、権力者が住んでいたパリ、ロンドン、ニューヨークなどには必ずと言っていいほど、様々な芸術品が残っているのです。
多くの人は、観光客としてパリ、ロンドン、ニューヨークなどの美術館などを訪れて、芸術を鑑賞するわけですが、本来は五感や感性でじっくり味わうべき芸術は、もっと静かな地方都市の方が、鑑賞場所に適しているのでしょう。
最近では、アートを使って地方を活性化をしようという動きが活発になってきています。
香川県高松市では、アートを使った地方創生の一環として、2023年12月1日〜3日の3日間、「あなただけの香川県を作ろう!」と題し、オリジナルトートバックと缶バッジ作り体験のワークショップが行われました。
ピカソは、都市に嫌気が差して、パリを離れて創作活動を行いましたが、ゆっくりと物事を考えるという芸術の本質を追求するという意味では、今後、芸術は都市からどんどん離れていくのだろう。
むしろ、どれだけローカルに根付いた芸術を生み出せるかが、「芸術×地方創生」を成功させるキーワードなのでしょう。
よく「アートは人間を別の幸福感で呼吸させるもの」、「アートは人間に生命を吹き込むもの」などと言われます。
ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのセミール・ゼキ教授の研究によれば、恋に落ちたときに点灯するのと同じ脳の場所が、芸術を見て美しいと感じた時にも、活性化するのだそうです。
芸術を通じて、地元の人が幸福になるからこそ、そのローカルの人たちの暖かさを求めて、観光客がやってくる。
もちろん、都市でも芸術祭は多くありますが、都市の芸術祭は地域が主体となってやっているというよりは、大きなグループ展といった要素が強く、地域とアートが一体化しているような気がしません。
瀬戸内海の島々で3年に一度開催される「瀬戸内国際芸術祭」は、少し誇らしげに地域や芸術のことを教えてくれる地元の人たちやボランティアの人たちで賑わい、まさにアートが地域に新しい生命を吹き込んでいるような雰囲気があります。
コロナ禍で人が都市から地方に流れ、これまであまり光が当たっていなかったローカル文化が注目されています。
これからは濃いローカル文化が、クラウドやSNSを通じてグローバルに広がっていく時代なのです。
デザイナーは都市に残り、芸術家は地方へ流れていく。
デザインとアートは同じものだと捉えている人たちが多いのですが、実はこの二つの考え方は大きく異なっています。
デザインには必ず発注者やクライアントがいて、必ず何かしらの目的を持っているのに対して、アートにはそれが本来的にはありません。
そういった意味では、 都会はクライアントが存在する「デザイナー」の場所、郊外や地方は、クライアントが存在しない「アーティスト」の場所なのだと言えるのかもしれない。
デザイナーはビジネスありきで手を動かすため、金銭的にも都市に住めますが、ただ創りたいものをつくっているアーティストはビジネスとは縁がないため、金銭的にも厳しく、必然的に地方や郊外に住まなければなりません。
アーティストは芸術を通して、様々な「問い」を世の中に投げかけていきます。
そして、地域を巻き込んだアートは、アートが「媒介」となり、人と人とを繋げていくのでしょう。
海外などでは、政治的・民族的・宗教的な対立が多く、ゲットーやスラムなども多くあり、こういった対立を無くすために、地域ではアートの存在が重要視されています。
日本では、こういった対立は目立ちませんが、一昔前と比べれば、オンラインで特定の自分の好きな人たちと繋がるということが当たり前になり、地域の人たちとの繋がりはどんどん薄くなってきていることを考えれば、アートはオフラインの世界で人々を繋げる重要なツールになるのは間違いないでしょう。
アーティストが街に住むと、それにつられてたくさんの人たちがやってくるのは、アーティストが作り出す芸術に心が揺さぶられるからであり、政府や自治体などが介入しなくても、どんどん街を盛り上げていってくれます。
最近の若者が都市に憧れを持つのではなく、自分の生まれ育った街を住みやすい街にしたいというローカル思考が強くなってきているのは、金銭的な成功ではなく、自由に表現する喜びや深い意味での人との繋がりを求めているからなのかもしれません。
瀬戸内国際芸術祭のように大規模なものではなくても、缶バッジに表現されるアートも人々を繋ぐ重要なメディアとなっていきます。
壁に描かれるグラフィティー、美術館に飾られる芸術、そして、缶バッジで表現されるアートと、場所や表現される形は違っても、芸術は様々な形で人々を繋げていくのでしょう。
場所や形ではなく、表現し続けることに意味があるのです。