千葉県流山市、流鉄流山駅の隣に、市内外から注目を浴びているまちの観光案内所兼コミュニティスペース「machimin1(まちみん1)-まちをみんなでつくる-」があります。

旧タクシー車庫を改装して作ったmachimin1は、地域に住む人々が集まり交流を育む場となっているだけではありません。人口減少・超高齢化によりさまざまな問題を抱えている日本において、新たな地方創生モデルとして行政や教育機関、企業からも声がかかる場となっています。

そんなmachimin1の黎明期には、缶バッジがなくてはならないものだったそうです。今回は、machimin1のオーナーであり、株式会社WaCreation代表の手塚純子さんに詳しくお話を伺いました。



同じデザインの流鉄缶バッジは一つも存在しない。


バッジマンネット:
machimin1にはさまざまな鉄道関連のグッズや展示物があり、まるで博物館のようですね。窓のすぐ向こうは線路ですし、流鉄の一部のようにも見えます。こちらでは、どのような活動をされているのでしょうか。

手塚:
もともと「みんなでまちを運営していく拠点を作りたい」という思いがスタートだったので、コンセプトとイメージだけはしっかりお伝えして、ボランティアスタッフを募集し、DIYしました。「ここで何をするのか?」と聞かれ「あなたは何がしたいのか?」と聞き返すところからでした(笑)ほかに、「自宅では不要なのでよかったら」と場のイメージに合うものをくださる方が多く、実はコミュニティスペースにあるほとんどのものは購入したものではありません。




さまざまな人がいましたが、強い意志を持った大学生が一人いて「流鉄の一角ともいえる場所なので、当然流鉄ギャラリーが必要だと思う」とのことでした。では好きにやってほしいとお願いしましたら快諾でした。

流鉄の過去の車両や歴史についてを、色鉛筆で塗った手書き資料を作っていたので、その横に牛乳パックと男性用の着物で作った車掌帽を添えました。

すると、流鉄100周年の記念品として市役所らが制作した大きな模型を譲って下さることになり、さらに流鉄さんから使用しなくなった本物の帽子やつり革、停車位置を示すものを都度提供いただき、どんどんギャラリーが豪華になっていきました。

「写真を撮っていいですか?」「これ凄いね…」という声の他に、「これからも頑張ってほしいから運営費を寄付したい」というお話もちらほらあり、何かお土産を作ろうという話になりました。

バッジマンネット:
そのような経緯で博物館のようなギャラリーができていったのですね。その当時から「缶バッジを売っていこう」と考えていたのですか?

手塚:
いいえ。ギャラリーを運営して分かったことは、お客様の中でも目立つ特徴は、「流鉄ギャラリーを見たいという電車が好きな子どもを連れた親子だったのですが、流鉄には詳しくない」というものでした。

そこで、鉄道の中でも流鉄をこよなく愛する、子どもの頃から流鉄一筋の撮り鉄の彼に「私が商品企画や広報、販売の部分を担うから、流鉄の正しい知識の提供や商品製造をしてほしい」とお願いしました。

彼は、流鉄の乗車率を何とかして維持したいと願っていたものの、それを自分一人で実行することは難しいと感じでいたようでした。一方で私は、前職で企画広告・マーケティング・人事業務を担当してきたのですが、東京から移住してきたうえに流鉄沿線に住んでいなかったので、歴史や魅力の部分に詳しくありませんでした。

今あるものですぐにできること、ニーズに合っているもの、子どもが買いやすい値段のもの…と彼と何度も相談して一緒に考えました。先述のように、遊びに来てくださった方や手伝ってくださる方に不用品をいただいて、それを加工して活用していたのですが、野田市で「あそびとくらすラボ」を運営されている岡田晃次さんがバッジマシンを貸してくださったので、これを使ってみようとなったのです。

バッジマンネット:
同じ車両でも、よく見るとひとつひとつ少しずつ違いますね。




手塚:
流鉄には100年以上の歴史があり、これまでに 「流馬」「なの花」「さくら」「流星」等のさまざまな車両が流山線を走ってきました。その車両一覧が人気なので、車両の顔を色鉛筆で塗り、21種類の車両のバッジを作っている…ように見えるのですが、描かれている電車の絵は歴代の車両の種類に加え、行先表示や模様等の細かい部分も描き分けられていて、実は同じデザインの缶バッジはひとつもないのです。今までに1500個以上の製造販売をしたんですよ。



1500個の缶バッジが生んだ30万円の軍資金を使って。

バッジマンネット:
缶バッジだけで30万円もの利益が出るのはすごいと感じます。

手塚:
電車好きな人が喜ぶような缶バッジを作り続けてくれたおかげですね。当初、流鉄に詳しくない電車ファンの親子をターゲットにしていましたが、ターゲット外から全種類大人買いするコレクターが現れたり、流鉄の社員さんや車掌さんが買いに来てくれたり、彼の思いに共感して「自分も商品開発して軍資金に貢献したい」という小学生が現れたりもしました。

販売が安定してきたころ、岡田さんへバッジマシンを返却することになったため、この軍資金から費用を出して新しいマシンを買い、同時に『とある大学生の流鉄ガイドブック(撮影スポット紹介)』ができ、商品数が増えてムーブメントになることで誰かの新しいチャレンジへ連鎖し、『流鉄探検ノート(スタンプ手帳)』『流鉄塗り絵』『流鉄レッスンバッグ』『流鉄車両カラーのアクセサリー』『流鉄車両カラーのフィナンシェ』が商品化され、流鉄を盛り上げる人も小学生・大学生・専業主婦・シニア…と関係者も増えていきました。

そのうち流鉄探検ノートは、第2の拠点であるmachimin2で子ども食堂運営を手伝ってくれていた大学生スタッフが制作し、子ども食堂の軍資金にもなっています。このように、自分の好きや得意で何かをやりたい、作りたいという人が自然と集まり、商品も増えていきました。

結果的に、普段、家にいる方が楽しく資本主義のビジネス体験ができ、子どもや学生には金融教育となるようなコミュニティとなっています。

バッジマンネット:
流鉄流山線の車内へ、電車の魅力を伝える中吊り広告の掲出を実現したという記事を拝見しました。それも、このお話から繋がっていったことなのでしょうか。




手塚:
はい。一緒に3年活動した彼が大学を卒業して就職するタイミングを迎えました。私は、彼がmachimin1のスタッフを卒業するのだろうと思っていたため、何かお礼になることで流鉄の乗車率に好影響があることをやりたいと考えました。撮り鉄の彼が「流鉄流山線の電車内で、自分の撮影した電車写真を載せた流鉄の魅力発信広告を掲出してみたい」という想いを持っていることを思い出しました。

一般的には、広告はいかに知ってほしい人に見てもらえるかが大事なので、流鉄ではなく、つくばエクスプレスやJRに広告を出したほうが有益です。しかし「こんな想いで、こんな風に活動している人がいるコミュニティがある。あなたも乗車率増の取り組みを一緒にやろうよ」という広告として非常に有効だと思えました。彼の夢を叶えることと、軍資金の活用目的はリンクします。

この話の大元をたどれば、缶バッジがすべての始まりだったんですよ。



まちの人たちの好きなこと、得意なことにマーケティングを組み合わせることで自然とコミュニティは広がっていく。


バッジマンネット:
そのように言っていただけると、弊社としても感慨深いものがあります。彼の「好き」に対し、手塚さんが少しビジネス要素を加えたことで、コミュニティが作られ、広がっていったのですね。

手塚:
はい、最初からそうなるとわかっていたわけではありませんでしたが、毎日、今できることを積み重ねたら結果としてそうでした。

目的を「人の好きや得意が活かされ、まちがよくなること」とし、今回の手段を「缶バッジで手作りお土産を作る」としましたが、他にも手段は多様にあります。好きや得意にマーケティングを組み合わせることで、ヒト・モノ・バショという地域資源が自然と繋がりました。

第三者の方から見ると、このコミュニティ運営の仕方は政府が提唱している地方創生・地域活性化、高齢化社会のフレイル予防、若者や女性やシニアの生涯学習や起業、不登校対策、きりがないほどさまざまな取り組みに繋がるのだそうです。




そのためか、最近は視察の回数が増えました。コミュニティサービスを立ち上げたい、または運営したい事業者・行政向けのコンサルを行ったり、千葉大学の非常勤講師を勤めたり、千葉県特別支援学校流山高等学園と一緒に10年後のシラバス策定に携わったりしています。まだまだ面白い展開が地域の方々の力で伸ばしていけると感じています。

ちなみに、彼はmachimin1を卒業せず、社会人になった今でも大型連休などのお休みを活用して、流鉄缶バッジを作り続けてくれています。