開戦からすでに1年を迎えたロシアのウクライナ侵攻は、今も一進一退の攻防が続き、市民を巻き込んだ戦闘は終わりの見えない状況に陥っています。

多くのメディアがこの戦争を報じる一方で、世界では数々の紛争が勃発し、多くの罪のない人々が苦しめられてきました。

その一つがミャンマーで、2年前にクーデターを引き起こしたミャンマー軍による民主派勢力への弾圧は、武器を取った民主派側と軍の暴力の応酬へと様相を変えつつあります。

このような故郷の惨状に対して、日本に住むミャンマー人のソウミ(本名:ラ スワン リアン)さんは、日本人の友人のティナさんらと共に、ミャンマーの中でも特に貧しい人々が暮らす地域に向けた生活・教育・医療支援を行うNGO「Heartship Myanmar Japan(以下HMJ)を設立しました。

今回は、ミャンマーの現状やソウミさんの故郷への思い、HMJでの活動で缶バッジがどのように利用されているのかなどをお伺いしています。

2021年のクーデターが全てを変えてしまった。4700キロ離れた日本から故郷を支援する。


バッジマンネット:
ソウミさんが代表を務めるHMJはどのような活動をされているのですか?

ソウミさん:
HMJでは、両親の出身地であるチン州サタウム村とその周辺地域、ヤンゴンで貧困している人達に対して、ホームページやイベントを通じて集めた寄付金を現地に送り、お米や医療物資の配給、貯水槽の整備、教育支援、移動クリニックの実施などを行っています。

2021年2月にミャンマー国軍によるクーデターが発生しました。祖国の危機的な状況を目の当たりにし、2021年10月に、日本で最も信頼できる友人の1人であるティナとカメラマン兼英語講師のアメリカ人ジェイコブ・シアーと共にHMJを発足しました。

バッジマンネット:
ティナさんはどのような経緯で活動に参加されたのですか?

ティナさん:
ボランティアで通訳をしていた在日外国人のコミュニティを通して、ソウミと知り合いました。子ども達の年齢が近くサッカーという共通点もあることから、ソウミが故郷に帰る際にお互いのチームのサッカー用品を送るなど、ママ友として仲良くお付き合いしてきました。

しかし、2021年2月のクーデター以降は、ソウミは、故郷に帰ることもできなくなり、SNSを通じて知らされる悲惨な状況に、眠ることができなくなるほど追い詰められていました。そんなソウミをみて、少しでも支えになればと活動をスタートしました。


バッジマンネット:
日本のメディアではあまり報道されていない印象ですが、ミャンマーの状況は深刻なのでしょうか?

ティナさん:
情報が全くないわけではないですが、少なくともテレビでミャンマーのリアルな現状を知るのは難しいでしょう。

軍事政権によって物価は上昇し、食べることにも困っている方が大勢いますし、地域によっては激しい空爆が今も続いていて、学校も何年も休校したままです。HMJで実施予定だった次回の移動クリニックも、延期せざるをえませんでした。

「ミャンマーのために少しでも役に立ちたい」純粋な思いを持った人に届けられる缶バッジは愛の証。


バッジマンネット:
それほど大変な状況だとは知りませんでした。寄付はどのようにして募っているのですか?

ティナさん:
HPから寄付を受け付けるシステムを構築しました。友人や家族、叔父、叔母、従兄弟など親戚が中心ですが、イベントに出展する際は募金箱も置かせてもらっています。

また、オリジナル・デザインのトートバックを販売し、収益を支援活動に充てています。

バックへのデザイン印刷は業者にお願いしていますが、そのまま販売するのではなく、アイロンをかけたりミシンで補強して、気持ちよく使っていただけるようにしています。


バッジマンネット:
日本ではあまり見ない柄ですが、どのようにしてデザインされたのですか?

ティナさん:
ソウミのミャンマー人の友達にも相談して、チン州の伝統的なブランケットの柄の一部を使うことにしました。キモ可愛い感じがとても気に入っています。

最初は、バックのデザインをHMJのロゴを中心にしようかと検討していたのですが、利用する方のことを考えて、バック本体はミャンマーらしさを重視し、ロゴは缶バッジで作成し取り外しできるようにしました。


バッジマンネット:
弊社の缶バッジマシンは以前からご存じだったのですか?

ティナさん:
メンバーの1人であるジェイコブが昔から、昔利用していたということでバッジマシーンを持っていました。

HMJのロゴだけでなくミャンマーの地図のバッジも付けているのですが、ミャンマー人の方からは非常にご好評をいただいています。

少しでもミャンマーの助けになればという純粋な思いを持った方に購入していただいて、喜んでいただけるのはとても嬉しいです。

祖父や父と同じように故郷に貢献する。逆境に見舞われても強い気持ちは変わらない。


バッジマンネット:
ソウミさんがミャンマーを支援する活動を始めたのは、今回のクーデターがきっかけですか?

ソウミさん:
私は、教育家の祖父や国会議員だった父のおかげでミャンマーの都市部で暮らし(ソウミはヤンゴン大学出身)大学を卒業し、縁あって日本で暮らしてきましたが、社会貢献活動にそれほど興味はありませんでした。

きっかけは、2011年に追悼儀式で訪れた、両親の故郷チン州サタウム村で、何ひとつ持っていない子供たちの姿を目の当たりにしたことでした。親戚である村の人たちが、山の上からふもとまで生活用水を運ぶという重労働を今も続けていたことも衝撃的でした。自分たちが日本という発展した国で何不自由なく暮らしていることを申し訳なくて、私も父や祖父と同じように故郷のために貢献したいと強く思うようになり、それまで勤めていた英語講師を辞めて、その時すでに友人だったジェイコブの助けを借りて2012年に「Hualngo Land Development Organization(HLDO)」を現地で設立しました。


バッジマンネット:
ソウミさんは、10年以上前から活動されていたのですね。HLDOではどのようなことをされていたのですか?

ソウミさん:
祖父母や両親が育った地域は、主要産業は農業ですが、牛などの家畜すら使われず、人力で行われていました。

そこで、ミャンマーの若者が最新の農業技術を日本で学び、故郷に還元するプログラムを作りました。

HLDOの活動は非常に順調で、目に見える成果も出ていたのですが、世界各地に展開するNGOの支部に吸収され、設立者である私は組織から外されてしまいました。

組織からの連絡は途絶えて、せっかく寄付してくださった方々に活動報告もできなくなり、資金提供してくれた友人の信用を失うなど大きな精神的苦痛を受けましたが、それでも、祖国を助けたいと思う気持ちは全く変わっていません。

ミャンマーの教育を変えることで、貧困を乗り越え明るい未来を描く、それが私の使命。


バッジマンネット:
非常に辛い経験を乗り越えて今があるのですね。ソウミさんと共に活動してきたティナさんは2年間を振り返ってどのように感じていますか?

ティナさん:
私はミャンマーに行ったことはありませんが、転勤族で海外での暮らしが長かったこともあり、社会に恩返しをするという意味でも社会貢献活動をしたいと思っていました。

フードバンクでの食料配布なども検討していましたが、自分でなければいけない理由などが見つからないなど感じていた頃にソウミから助けてほしいと声をかけられました。

ソウミは英語は堪能ですが、日本語の読み書きができないので、英語と日本語ができる自分のスキルを生かせば、ミャンマーと日本の架け橋になるのではないかと考えました。

私の担当は、日本の銀行や業者とのやりとり全般、HMJの活動内容や、ソウミを通じて現地から届く報告、ミャンマーに関する情報などをHPやSNSで日本語と英語で発信することです。慣れないことも多く手探りではありますが、自分の持っている技術や経験を提供して、ソウミやみんなに喜んでもらえるのは非常に意義のあることだと思います。


バッジマンネット:
HMJを中心としたミャンマーを思う輪は確実に広がっているのですね。将来の展望や夢などはありますか?

ソウミさん:
私が最も力を注ぎたいのは、ミャンマー、特にチン州の子ども達の教育です。玩具もなければノートもない、靴すら買えないような貧しい家庭で育っていますが、明るくて非常に頭が良いです。

日本人が持つ素直さや規律性、チームワークの大切さを学ぶ機会をスポーツや教育を通じて提供できれば、素晴らしい人間に成長すると思います。

現地に学校を作るのはもちろんですが、学校とヤンゴンの大学や専門学校などをつなぎ、彼らが高等教育を受けられる道も模索していきたいです。

ミャンマーの教育を変えることで、明るい未来を描く、それが、民族で初めて教育を受けた祖父の血を引く私の使命ではないでしょうか。