世界一の鉄道インフラに支えられて、世界屈指の経済大国となった日本おいて、いかに“高速”かつ“大量”に輸送を行えるかという指標で鉄道の価値は測られがちです。
しかし人口減少時代に突入した今、鉄道の廃線や事業規模縮小といった流れが地方都市を中心に広がっており、日本各地のローカル線では、既存の「大量輸送」という価値観に代わる新しい価値を生み出そうとする動きが活発化しています。
岡山県倉敷市に拠点を置くローカル線 水島臨海鉄道株式会社 もその一つに挙げられますが、興味深いことに同社は、缶バッジを使って社内マネジメントを行っているのだそうです。
そこで今回は同社運輸部の大森史絵さんにお話を伺いました。
缶バッジで社内マネジメント「缶バッジが世代間のギャップを埋め、社員の隠れた才能を引き出した」
水島臨海鉄道株式会社はその名の通り、岡山県倉敷市の中心部と水島臨海工業地帯の貨物輸送を行うために従来あった倉敷市交通局の旅客鉄道部門と旧日本国有鉄道(現JR)を中心に設立された鉄道会社で、貨物輸送と旅客輸送を行っています。まさに、倉敷市の経済と生活を守る重要な使命を持っているのです。
同社は、時代の変化とともに運ぶ貨物の内容は変われど、地元民の足としての公共的な役割は変わっていないという考えのもと、地元に根ざした鉄道会社を目指しています。
その一環として、春夏秋冬それぞれの季節にイベントを開催し、さらに未来の顧客である地元の子ども達との接点づくりにも積極的で、取材の前日には、水島地域にある大手鉄鋼メーカーJFEスチール株式会社とコラボして、運転士や車掌の体験や列車と綱引きをするイベントを開催しました。
しかし当初、社員のイベント企画に対する意識には温度差があり、社内がバラバラな状況にあったのだそうです。そんな中、缶バッジを導入したことがキッカケでチームに一体感が生まれるようになったと大森さんは話します。
「これまで会社を引っ張ってきた団塊の世代が退職後、上の世代と下の世代の連携がうまく行かなくなった時期がありました。新しい取り組みをするにも、上から言ったんじゃ命令になってしまうし、下からはなかなか提案しにくいため、協力関係を築けない。そんな中、上の世代と下の世代を繋ぐ役割を担ったのが缶バッジでした」
「こういった可愛らしいデザインの缶バッジを作る際はやはり、20代30代の若い社員が頼りになるので、彼らを中心に缶バッジ制作を進めたのですが、ある日社内で『このデザイン誰が考えたの?』『◯◯さんはこんなこと出来るんだね』といった会話が始まり、上の世代と下の世代の距離感が縮まり始めたんです」
「さらに缶バッジは社員の隠れた才能を引き出すツールにもなりました。缶バッジ制作をお願いすると、デザインの才能や写真の才能を持っている社員がいることに気が付きました。缶バッジをキッカケに、別の企画を任せるなど、自分の仕事の枠を超えて仕事ができる社員が増えてきたんですよ」
「社員自身も、自覚していなかった自分の隠れた才能に気付き、さらにその才能を仕事に活かせられるようになると自信が付いてきて、『次はこんなことがやりたい』と自ら提案するようになりました」
「そして『提案→実行→自信がつく→さらに提案』というサイクルを何度も繰り返すことによって、個々の社員がどんどんステップアップし、缶バッジがキッカケとなって社内のレベル底上げに繋がったのです。それに伴って、イベントのクオリティも上がるという好循環も生まれました」
こうした一連の取り組みによって、少しずつ乗降客数が伸びていると大森さんは話します。
前述した通り、水島臨海鉄道は人口47万人の倉敷市中心部から水島工業地帯に向けて走る「都会からどんどん離れる路線」という特徴から、利用客の大半は地元住民で、地元の人にJRでは味わえない魅力を提供する必要性にかられてきました。
しかしどれだけ高い理想を掲げても、結局のところ、会社の事業を支えていくのは社員自身です。その意味では、缶バッジを活用して、まず最初に社内マネジメントに着手した水島臨海鉄道の取り組みは、これまでになかった缶バッジの先進的な活用例だと言えます。
水島臨海鉄道の設立50周年を記念して、倉敷市にふるさと納税すると返礼品として臨鉄グッズを配布
そんな水島臨海鉄道株式会社は1970年の設立から来年で50周年を迎えます。(旧三菱重工業水島航空機製作所専用鉄道として倉敷~水島航空機製作所間が開通したのは1943年)
設立50周年を記念して、同社ではふるさと納税の返礼品として、過去に水島臨海鉄道で実際に使われていた改札鋏(かいさつきょう:切符を切るハサミ)のレプリカをお配りすると大森さんは話しました。
「実はこのハサミは、駅ごとに形が違うんです。なので当時は、その形を見て、どこの駅で乗車したかを区別していました。もう何十年も前に使われていたもので、現在、弊社にいる社員もわからないくらい古いものなんです。鉄道ファンの方は絶対に喜んでもらえると思います」
「鉄道の日」を記念して、10月27日に水島臨海鉄道にて特別イベントが開催
50周年記念に加えて、大森さんは「鉄道の日」を記念して、水島臨海鉄道開催のイベントについてもお話しくださいました。
鉄道の日というのは、1872年10月14日に新橋駅(後の汐留貨物駅で現在は廃止)と横浜駅(現在の桜木町駅)を結んだ日本初の鉄道が開業したことを記念して、平成6年に制定された記念日のことです。
水島臨海鉄道では鉄道の日を記念して10月27日(日)にイベントが行われ、キハ30、37、38といった鉄道ファンにはたまらない懐かしの車両が公開され、現役引退した旧国鉄時代のローカル線の主役キハ20も登場します。そして、冷房がついていないため秋冬限定の車両キハ30もこの日から運用を開始します。
旧国鉄時代のキハを繋いで、普段立ち入ることのできない東水島駅への入構や、倉敷貨物ターミナルでは写真撮影やオリジナルグッズの発売など行うようです。詳しくは水島臨海鉄道株式会社の公式ホームページでご確認ください。
水島臨海鉄道の起源となる旧三菱重工業水島航空機製作所専用鉄道の時代から数えれば、同社の歴史は70年以上にも上ります。
一般的に企業は年を重ねれば重ねるほど、新しい挑戦には消極的になる傾向があるものの、同社はむしろ、長い歴史の中で多くの時代の変化を体験してきたからこそ、柔軟であることに重きを置いていると大森さんは話していました。
缶バッジで社内マネジメントを行うベンチャー気質の鉄道会社、水島臨海鉄道。今後も同社から目が離せません。