近年、日本のビジネスマンや企業経営陣が起業家マインドを学ぼうと、シリコンバレーや深センを視察に訪れているものの、海外の事例を直接日本に輸入したところで、それはあくまでも借り物のマインドでしかないため、なかなか目に見える形で結果が出ないのが現実です。

その意味において、そろそろ私たちは外にばかり目を向けるのを止め、日本型の起業家マインドを模索する時期に差し掛かっていると言えるのではないでしょうか。

そんな中、共栄大学(埼玉県)のキャンパスにオフィスを構える、同大の学内ベンチャー『有限会社かいしゃごっこ』は、大学を拠点とした起業家育成を行なっており、現役の大学生はもちろんのこと、卒業生、企業経営者、自治体など大勢の方が、起業や経営の相談に訪れることで知られています。

今回は、共栄大学客員教授で有限会社かいしゃごっこの代表を務める、海老原武さんにお話を伺いました。

最新のテクノロジーとアナログの缶バッジを組み合わせると、これまで見たことのない最先端のマーケティング戦略が生まれる


缶バッジマシン


オフィスの机には、缶バッジをはじめとした事業に関連するグッズが所狭しと並べられている

「ごっこ」という名前とは裏腹に、かいしゃごっこでは大学生が社員となって、クライアントに対してビジネスアイデアの提案、財務管理、そして価格交渉までをこなし、業績に応じて社員である学生に給料が支払われるという、れっきとした会社組織なのです。

そんなかいしゃごっこでは、ホームページ制作やソフトウェアの開発など最新テクノロジーを駆使したサービス提供から、缶バッジ、Tシャツ、ノベルティグッズ、そして雑誌の編集発行といったアナログな商品開発まで、数多くの仕事を手がけていると海老原さんは話します。

「ある自治体から町おこしの依頼を受けたので、その時は缶バッジを使いましたよ。こちらのマップを見てください」

「マップ上のQRコードをスマホでスキャンすると、それぞれのお店の紹介動画が表示されて、オーナーがお店のストーリーやオススメの商品などの話をするんですよ」

「もちろん動画撮影、編集、プログラミング、そして缶バッジ制作まで、すべてを学生が担当します」

「イベントを開いて、QRコードが印刷された缶バッジを配ると、スタンプラリーみたいな感覚で、それぞれのお店にお客さんが足を運んでくれるので、それが町おこしになるんですよ。テレビCMやチラシなど受動的に受け取る情報には誰も気にも止めませんが、自らQRコードをスキャンして能動的に手に入れた情報は気になるものです」


実際にQRコードをスキャンしながら解説する海老原武さん

「この缶バッジの活用方法は町おこしだけでなく、旅行会社とも相性が良いんですよ。QRコードをスキャンすると、旅先の情報が出てくる。それを見て実際に現地に足を運んでみたくなる方も大勢いてマーケティングとして機能しているとのことで、今では旅行会社さんにも缶バッジを置かせてもらっています」

こうしたQRコードを活用した缶バッジには、プログラミング技術や動画撮影・編集技術など、高度なIT技術が求められる訳ですが、こうした最先端のテクノロジーと、アナログの缶バッジが交わったところに、新しいマーケティング戦略の芽が眠っていると言うことなのでしょう。

かつて缶バッジを作っていた10代の学生たちが、今では40代50代となり産業の中心で活躍している


有限会社かいしゃごっこ代表の海老原さん、かいしゃごっこ社員の学生、そして卒業生がオフィスに集まり談笑している様子

かいしゃごっこに在籍する学生たちは、こうした事業を通じて自身の進路について考えを巡らせるのだそうですが、かいしゃごっこは卒業生の起業支援も行なっており、共栄大学の卒業生で元かいしゃごっこ学生社長である松島玲奈さんもその一人です。

「私はプログラミングなどのIT技術をつかって起業しようとしていましたが、大学時代に培った缶バッジやレーザー技術をつかった物作りにも興味があり、現在、何ができるかを模索しています。そこで、海老原先生に相談しながら事業を進めているところなんです」

そう松島さんが話すと、海老原さんは続けてこう話します。

「卒業してからも教授のところに相談にくる。これは本来の大学教育のあるべき姿だと、私は思っているんですよ。実際、私も学生時代の恩師には20代後半までお世話になり、事あるごとに相談に行っていました」

「卒業後も教え子たちが大学に出入りするようになると面白いことが起き始めるんです。私は起業家育成事業をもう40年以上やっていますから、かつて一緒に缶バッジを作っていた当時10代だった学生は、今は40代50代となって産業の中核にいる」

「先日、ある大企業に招かれたのですが、実は私の教え子がその会社で働いているんです。なので、昔の教え子のところから仕事をもらったり、今の教え子たちの面倒を見てもらったりするという、ネットワークができているんですよ」

こうして「かいしゃごっこOB」が増えることによって、少しずつ、かいしゃごっこは産業界から注目されるようになり、今では起業家精神あふれる学生をヘッドハンティングするため、毎日のように企業経営者がかいしゃごっこを訪れると海老原さんは話します。

会社を立ち上げる事だけが起業家のあり方なのだろうか。「起業家マインド×教育学部」で日本の教育は変わる


かいしゃごっこの社員で、共栄大学教育学部3年生の西尾城司さん(左)と小豆澤賢也(右)

大学で起業家を育成することの最大のメリットは、卒業生と現役生が繋がって相乗効果が生まれることだと海老原さん語りますが、実は教育学部との相性も良いのだそうです。

前述したように、かいしゃごっこでは、主にプログラミングなどの最先端テクノロジーを駆使してクライアントに対して企画・提案を行いますが、興味深いことに、かいしゃごっこには経営学部の学生だけでなく、教育学部の学生も大勢在籍していると言います。

一見、起業と教育という何ら関係のない2つのものが交わり、「起業家マインド×教育学部」によって面白い化学反応が起きるのではないかと、海老原さんはこう語っていました。

「現在、日本の若者のICT(情報通信技術)活用能力は世界で47位です。つまり、他の先進国だけでなく後進国の人たちにも負けているということなのです」

「理由は簡単。それは小中学校の教育課程に問題があるんです。早い話が、既存の教員が最先端のテクノロジーを使いこなせないんですね。自分が知らないものは教えられない。だから、学生もテクノロジーを使いこなせないんです。日本から世界的なテクノロジー系スタートアップが生まれないのも、もしかしたらそこに理由があるのかもしれません」

「でも、テクノロジーを使いこなせる起業家マインドを持った教育学部の学生が増えたら、日本の教育現場は大きく変わると思うのです。だって、これまで起業家マインドを授業に取り入れるという視点をもった先生は全くいなかったのですから。そこにアナログな缶バッジも取り入れたら、さらに面白いことが起きるでしょうね」


缶バッジなどを使った子供向けワークショップの講師は、かいしゃごっこの学生が担当する

海老原さんの「起業家マインド×教育学部」の話を隣で聞いていた、共栄大学教育学部3年の西尾城司さんは、かいしゃごっこの社員として働く中で、自身の進路についてこのように考えているようです。

「私は両親が教員なので、自分も自然と両親と同じ道を進むものだと感じていました。ところが、かいしゃごっこで活動する中で、プログラミングなどの最新テクノロジーや、缶バッジを作ったものづくりなど、視野が広がりました。今後はここで学んだことを教育に応用して、新しい教育のあり方を模索していきたいと思っています」

海老原さんのお話を伺っていると、ひとえに起業家育成といっても、拠点を大学にするだけで、その社会的意義は大きく異なってくることが分かります。

かいしゃごっこは共栄大学の学生だけでなく、他大学の学生も受け入れるなど、非常にオープンですが、海老原さんは今後はさらにその間口を広げる必要があるとしてこう話していました。

「うちの事業の一つに、プログラミング教室というのがありまして、今ではここで学んだ小学生が自分でプログラミングをして、自動運転のラジコンを作っているんですよ。するとどうなるかと言うと、親御さんたちは『もう自分の子どもが何をやっているのか全然わからない!』と言うんです(笑)大人が思っている以上に子どもは成長が早い」


自動運転のラジコンをつくる子供たち


プログラミングも自分たちでどんどん進めるという

「子どもが進路を決める上で親の理解は欠かせません。そこで親御さんにもテクノロジーリテラシーを上げてもらうために、保護者向けに教室を開いているんですよ」

「今後は小学生たちだけでなく、シニア世代なども積極的に受け入れていく予定です。そうすることによって、現役生、卒業生、企業、自治体、小学生、シニア世代など、様々な人々が行き来する場所になる。そうなればまた面白いことが起きるんじゃないか、と考えています」


保護者やシニア世代に向けた教育事業も、学生たちが担当する

有名大学を卒業して、有名企業に就職し、定年まで勤め上げるという従来の幸せの形はもう現代では通用しないと言われるようになり、「起業すべきだ」「大学なんて無駄だ」と発言する著名人も少なくありません。

しかし、現状を批判するばかりで「では、どうすれば良いのか?」と前向きな代替案を提案する人はあまり多くないように感じます。

そんな時代において、大学に拠点を置いて起業家支援を行う「かいしゃごっこ」の活動を見ていると、起業家とは単に会社を立ち上げるだけでなく、起業家マインドと教育を掛け合わせるなど、少し視点を変えるだけで、従来とは随分と違った形で社会に影響を与えていくことができるのだと感じずにはいられません。

新しい日本型の起業家のあり方を問う場で、缶バッジが使われていると考えると、思わず笑みがこぼれてしまいます。