ろうそくというと、移動手段で言えば自動車以前の馬と同じように、テクノロジーによって一気に時代遅れになっていたはずのものです。
しかしながら実際には、現代の人々はますますろうそくを購入するようになっています。
2017年に行われたヨーロッパにおける調査報告では、一人当たりに換算して年間1.4kgのろうそくを消費した計算になるそうです。
もちろん、「光源」というかつてのろうそくの目的においては、すっかり電気に移行してしまっており、その意味でのろうそくには需要がありません。
今、ろうそくは例えばおしゃれなレストランでテーブルに置かれていたり、夕食に招かれた友人の部屋で灯されていたりします。
なぜ人々がろうそくを灯すのかというと「明るくする」ためではなく、つまりろうそくは「心を和ませる」「心を癒やす」という意味で使われているのです。
そんな現代のろうそくは、様々な香りを楽しむアロマキャンドルとしての商品ラインナップを広げており、その先駆けである米国発祥の「ヤンキーキャンドル」という会社のろうそくの香りの種類は、150種以上にもなるそうです。
ろうそく自体は昔からあるモノですが、それを使われる目的がここまで一変するとは、ろうそくが光源としてなくてはならなかった時代の人には想像もつかなかったことでしょう。
このように既にあるモノに全く新しい「意味」を生み出すこともイノベーションの一つとして考えられており、世の中に全く新しいモノを生み出す「ゼロ→イチ」だけがイノベーションではありません。EUでは実際、2010年から10年に及ぶイノベーション政策の中で「意味」のアプローチ方法も取り入れられてきました。
「意味」におけるイノベーションならば多大な資金を費やさなくても可能なため、規模の大きな会社だから有利だということはなく、一人一人の社員の声がより大きい、規模の小さい会社の方が向いているという面もあります。
また、ろうそくに見られるように、新しいモノではなくて既に長く使われてきたモノを扱う会社にもチャンスをもたらすイノベーションの方法でもあるでしょう。
日本には100年続く企業が33,076社もあるそうで、日本だけで世界の創業100年以上の企業の41.3%を占めているそうですから、古くからあるモノの中に新しい意味を見つけられる可能性は大きいかもしれません。
都会では星が見えないほど夜が明るい日本は、人口一人当たりの電気消費量が主要国の中で第4位といいますが、その一方では創業300年の愛知県のろうそく店が、若い世代の顧客によって売上を伸ばしています。
ほかにも、日本の子どもの伝統的な遊びだった折り紙が昨今では「Origami」として世界中で知られるようになってきており、宇宙パネルに応用されるなどエンジニアリングにおける意味が注目されています。
親世代から楽しまれてきた缶バッジも、かつてはファン向けのグッズとして用いられ、購入した人が引き出しや部屋の片隅に「取っておくもの」だったように思います。
しかし、ここ数年缶バッジは「身に付けるもの」の意味が大きくなっていて、例えば、博物館や観光スポットでは、入場料を支払うと入場券代わりに缶バッジが渡されるところが珍しくありません。
というのも、特に特別展が行われる際などは、紙の入場券では誰が入場可能なのかを一目で判別するのが難しいため、缶バッジを目につくところに身につけてもらうことで特別展への入場者と一般入場者を的確に見分けられるようになっているそうです。
これまであまり見かけなかった飲食業界でも缶バッジが身につけられる場面が出てきました。
個々のスタッフのサービスがお店のレビューにもつながる今の時代、缶バッジはスタッフ一人一人の名札として居酒屋などで用いられています。
名札缶バッジは店長がつくる場合もスタッフがつくる場合もあるでしょうが、チームやお客とのコミュニケーションに役立ち、店のサービスを向上させるツールの一つとして活用されており、そうしたお店は今後も増えていきそうです。
イノベーションにおいて、全く新しいモノを物理的に生み出すプロセスはユーザーの声を集めるところからスタートすることが多く、よりたくさんのアイデアが必要になります。
しかし、モノに新しい意味を生み出すには逆に、数少ない仮説を掘り下げ、しっかりと描くことが必要だとされています。
缶バッジも、大切にコレクションされて楽しまれる意味と合わせて、缶バッジがもっといろいろな場で身に付けられ、活用されるモノであってほしいと私たちが想い描いてきた未来まであと一歩です。
かつて当たり前にあった社会人のレールが外れ、車を持つ意味、旅に出る意味、結婚する意味、そして働く意味も問われるようになり、コロナ禍によって人々はますます「新たなモノ」よりも「新たな意味」を探し求めるようになっています。
そんな時代だからこそ、私たちも缶バッジにおいて「取っておくもの」「身に付けるもの」とはまた別の、新しい意味をさらに深く追求できそうな気がしています。