イベントでもらった缶バッジ、旅先でもらった缶バッジなど、出かけた先で缶バッジに出会う場面が増えています。

缶バッジは、それぞれの場の主催者によって十個〜百個単位で用意され、「今日の記念に」と持ち帰られるようなアイテムです。

その点では、未知数の人に繋がることができるかもしれないこの時代に、1,000個に及ばない数の缶バッジを配るマーケティングを不思議に思う人もいるかもしれません。

確かに、ビジネスにおいては少ないコストでいかに多くの人にリーチできるかに焦点が置かれ、より広く行き渡る方が大きな価値を生むように思われがちではあります。

しかしながら、SNSでインフルエンサーたちが商品やサービスについて情報発信するSNSマーケティングが定着してきた今、見えてきた実情はかなり異なるようです。



インフルエンサーはフォロワーの数によって、数百万以上のメガインフルエンサーから、千人以下のナノインフルエンサーまであり、例えば中国では、インフルエンサーはKOL(Key Opinion Leader)と呼ばれ、数千万のフォロワーを抱える人もあるほど規模が拡大している

狙うマーケットにもよるとはいえ、一般的に国内でインフルエンサーというと、InstagramやYouTubeなどのSNSで数万以上のフォロワーを抱えている人を指します。

インフルエンサーマーケティングの国内市場は、これからの5年で今の倍近くに膨らみ、723億円規模になると予測され、このうちInstagramとYouTubeのインフルエンサーの割合は65%以上を占めているということです。

とはいえ、インフルエンサーの中でも、最近のマーケターたちが注目しているのは桁違いのフォロワー数を獲得している人よりもむしろ、フォロワー数1,000以下という「ナノインフルエンサー」の方で、フォロワーの多さがモノを言うトレンドは変わりつつあります。



1人のメガインフルエンサーよりも、缶バッジによる50人のナノインフルエンサー


アメリカで戦前から売られている炭酸飲料「マウンテンデュー」は、一見すると健康志向の流行に逆行しているようにも見えるデザインのドリンクですが、昨年、コロナ禍の真っ只中ナノインフルエンサーに特化したキャンペーンが功を奏し、コミュニティを沸かせ成功を収めました。

どのようなキャンペーンだったのかというと、アメリカ中西部地域のアウトドア活動を盛り上げるため、マウンテンデューが地域の釣りや狩猟に必要なライセンスにかかる費用をプレゼントするというものです。

このキャンペーンの宣伝には、地域のアウトドア好きマイクロインフルエンサーとナノインフルエンサー、合わせて60人が採用されました。




農業・工業が盛んな“ハートランド”と呼ばれるアメリカの中西部の街々のコミュニティに、このキャンペーンはたちまち知れ渡り、あらかじめ用意されていた先着5,000人分が5時間で尽きてしまったと言います。

このように、フォロワーは多くなくとも、対象地域や対象分野のコミュニティにしっかりと根付いているインフルエンサーの方がエンゲージメントが高く、周囲を動かす確実性が高いことは明らかで、デジタルにしろアナログにしろ、しっかりと繋がれる方法の方がビジネスに有利ということが分かってきているのです。



キャンペーンサイトにアウトドア活動に関するライセンスを送付すると、当選者にはライセンス更新にかかる費用を賄う25ドルのギフトカードが送られてくるマウンテンデューのキャンペーンはローカルのコミュニティに予想以上に喜ばれた

コロナ以前、2018年のことですが、「平成30年7月豪雨」が西日本を襲い、最も被害の大きかった広島県と岡山県の死者・行方不明者は合わせて174名に上りました。

復興のため、岡山県総社市と広島県福山市を結ぶ一路線のみを運営しているローカル線、井原鉄道が企画したのは、車両に「頑張ろう岡山、頑張ろう西日本」とデザインされたヘッドマークを掲げて走ることでした。

さらに、井原鉄道はこのヘッドマークから派生して同じデザインの缶バッジを作り、沿線で開催された復興イベントで缶バッジを先着50名にプレゼントするというキャンペーンを行なったのです。



被害の大きかった地元の復興のために、コミュニティを鼓舞するマークをつけて電車は走る

もともと井原鉄道では、缶バッジは主に社員の方々がイベントごとに制作しており、この復興キャンペーンで缶バッジを配布することも、普段から缶バッジを作っていた社員が発案したことだったそうです。

復興缶バッジは、配布された数だけを見れば、たった50個に過ぎません。ですが、当時このキャンペーンの缶バッジがメディアで報道され、大変な反響を得ることになりました。

Instagramに置き換えるなら、この時の井原鉄道の社員は企画者であると同時に、50名のフォロワーを持つナノインフルエンサーのような役割だったともいえるかもしれません。



50個のバッジを配る人も、50人に発信をするナノインフルエンサー

高梁川という一級河川にかかる、750mに及ぶ鉄橋を走り抜ける井原鉄道で、コロナ以前の平常時は、利用者の4割を観光客が占めていたそうです。

一方で、全長41.7kmという一路線のローカル線として、地元地域の人との繋がりも深く、この鉄道の言葉にコミュニティが励まされ、社会に対して、思うよりも大きな影響力を持っていることが豪雨復興缶バッジによって証明された形になります。



缶バッジは、SNSによって広まる猜疑心に「透明性」で対抗する


ナノインフルエンサーに協力を依頼する企業が増えている背景には、SNSユーザーがますます、情報の出どころが確かであるかどうか、あるいは情報の透明性が高いかどうかといったところに価値を置くようになっていることも挙げられます。

前述のマウンテンデューのキャンペーンに協力したナノインフルエンサーの中には、「いつも一緒に釣りに行く友人や自分の家族」に向けて発信するような意識で参加した人もあったでしょう。

考えてみれば、自分により近い人、実際に訪れた場所などを介してモノや情報をやり取りする方が安心なことは間違いありません。



情報への猜疑心は止められない。「SNSで話題になりそう」と、最初からマーケティングの意識が先行すると誰の心にも刺さらないものになる

情報発信は、もはや企業からの一方通行ではなく、消費者との双方向になっており、どんなに綺麗な写真であってもそれが加工してあったり「裏がある」ことは消費者自身も、もはや実証済みという時代です。

良くないことであっても事実を伝え、消費者との対話を通じて解決しようとすることで信頼を獲得することを「透明性」と呼び、マーケティング、ブランディングにおいて重要な意味を持つようになっています。

消費者と同じようにマーケターも、これまでのようなインフルエンサーと距離を置いたビジネス関係よりも、インフルエンサーとより近い存在になろうと、友好的なアプローチを行うようになっているそうです。



ナノインフルエンサーなら、一番伝えたい人たちに、より誠実に伝えられる

マウンテンデューは今年も同様のキャンペーンを展開しますが、一点異なるのは、ライセンス料を受け取った人がそれを自分のライセンス費用に当てる以外に、地域のアウトドアプログラムやNPOに寄付する選択肢が増えたことだそうです。

コロナ禍の中で缶バッジは、看護師を励ます応援メッセージの描かれたものから、地元の病院に募金を募るためのツールとして使われたり、世界の様々なコミュニティで人々を繋げてきました。

缶バッジは、それを受け取った人たちのストーリーが彼らの近い人たちに広まり、社会問題を解決する別のアイデアへと膨らむような、少ない数でもしっかりと伝わって共鳴するコミュニケーションツールとして活用されているのです。