タイパ(タイム・パフォーマンス)と言って、人と会うにも自分の費やした時間に対して満足度の勘定が始まるような時代です。

けれど「いかに多く得をしようか」というマインドで動けば動くほど、短期的には満足度が高かったとしても、長期的な人生の満足度は下がっていきます。

社会学者の宮台真司さんは1990年代に、自分たち同僚・級友などの人間以外は、いてもいなくても同じだという意味で、「仲間以外はみな風景」なのだと言いました。

一昔前は、携帯電話など無くても、自分はしっかり誰かと繋がっているという意識が持てましたが、SNSで常に同期し、いつでも連絡が取れる時代になると、不思議と多くの人が孤独を抱えている。

社会と繋がりを取り戻すためには、何か短期的なリターンがあるから「今だけ頑張ろう」などといった直線的な意思決定ではなく、見返りを求めず、他人に何かを与える累積的な意思決定をしていかなければなりません。

ピーター・ドラッカーは、21世紀は非営利のNPOが社会の重要な役割を担うと言いました。

アメリカでは、ボランティア活動が人間の成長には欠かせないものとして捉えられていますが、缶バッジも社会に何かを与えて、世の中との繋がりを取り戻すツールとして活用できるのかもしれません。

「与える」という行為は、周りに、そして時代を超えて伝染する。


例えば昨年は、ロシア・ウクライナ戦争の惨状に心を痛めた一般の人々が、ウクライナの国旗をベースに平和のシンボルや平和のメッセージをデザインした缶バッジをつくり、多くの人とメッセージを共有していました。

青と黄色のウクライナ国旗のシンボルカラーを用いてデザインされた缶バッジには、一人でも多くの人に、この戦争に興味を持ってもらいたいという願いが込められています。

日本には、相手のことを想い、千羽鶴を折って送るという文化がありますが、丁寧に「折る」という行為に自然と心が宿るという考えは、日本独自の精神文化なのでしょう。

そういった意味では、時間を費やし、頭を使い、材料を揃え、缶バッジを制作して配布するプロセスにも、自然と精神的な何かが宿ってくるのかもしれません。

こうした「与える」行動は、それ自体の成功をほとんど意識していなくても、人との新たな繋がりを生み出し、また、その人の社会における役割や生きがいを生み出すことで人々を前に進めているのです。

カリフォルニア大学リバーサイド校のジョセフ・チャンセラー氏の研究によれば、親切を受け取った人は、「恩送り」 という形で誰か別の人に親切にすることを選ぶ傾向にあり、親切は伝染していくのだと言います。

もしかすると、親切というのは、周りに伝染するだけではなく、時代を超えても伝染していくのかもしれない。

1890年、当時オスマン帝国(現在のトルコの一部)の派遣団が日本にやってきたのですが、帰り道で和歌山県の沖で台風にあおられ、船が沈没してしまいます。

その時、和歌山県の人たちが危険をかえりみず派遣団を救出した話が、現在でもトルコの教科書に載っているため、トルコ人は自然と新日家になっていく。

そして、その100年後、1985年のイラン・イラク戦争でイランのテヘランに取り残されていた日本人をトルコ人が救出してくれました。

これは、100年前にトルコ人が日本人に助けてもらったからです。

100年以上前のフランスの社会学者マルセル・モースは、「与えること」と「受け取ること」と、それからそれをまた「誰かに渡すこと」を循環させていかなければならないと述べています。

缶バッジという物理的なものを誰かに送るという行為は、SNSで常に繋がっているようで、実は全く繋がっていないという矛盾を打破してくれる一つのキッカケになっていくのかもしれません。

良い事をしようとすると意見がまとまらない。缶バッジは全員の感情をまとめ上げるツール。

若い人たちで、内容はよく理解していなくても「赤い羽根の募金」という言葉を聞いたことがある人は多いことでしょう。

赤い羽根の募金は、第2次世界大戦後の復興を目的としてスタートし、年間約176億円(平成30年)が集まっています。

戦後から長く続けられてきたものの、実際は赤い羽根の募金が「地域のために使われる」ということに気づかずに募金をしていた人も少なくないかもしれません。

「赤い羽根」は昔から親しまれてきたアイテムですが「地域のため」というメッセージは読み取りにくく、募金がどのように使われているのかを伝えるには難しかったところもあるでしょう。

最近では、缶バッジが募金呼びかけのために使われています。

例えば、北海道では4年前から札幌市中央区が円山動物園とコラボした赤い羽根の缶バッジを募金してくれた人にプレゼントし、地元の人の目につきやすく親しみやすいかたちで募金を呼びかけています。

高校生が悪さをしようとする時、自然と意見がすぐにまとまりますが、募金やボランティアなどを通じて、何か良いことをしようとすると、意外と意見がまとまらないことが多いのです。

どれだけ良いことをしたいと思っても、社会と歩調を合わせるのは想像以上に難しいことなのでしょう。

しかし、何か良いことをしたいという想いだけはみんな同じですから、その想いを表現するツールとして缶バッジは持ってこいのものなのかもしれません。

本来、人間の時間とは、8時間が生理的必要時間(睡眠、食事など)、8時間が仕事時間、8時間が文化的・社会的時間なのだと言われています。

モーレツからビューティフルへと言われるように、激動の時代の中で、本当の意味での豊かさを見直す時期にさしかかっているのでしょう。

恋人を作りたければ、マッチングアプリより、生きる意味を明確にして、好きなことに没頭する。


企業経営に関しても、これからは営利と非営利の間がどんどん曖昧になっていくのだと言います。

これまで企業は、CSR活動やNPO支援をボランティア活動として行ってきましたが、これからのこういった活動は企業としての競争力をつけるための活動へとシフトしていく。

企業もグローバル化した世界の中で、朝に株を買って、昼過ぎには株を売り払っている株主のために、働くという意味が見出せずにいるのだろう。

同じ目的を持っている人や企業は、必ずお互い引かれあっていきます。

言葉だけではなく、本当の意味で何か世の中に貢献しようとしている企業には、同じような考えの人が自然と集まってくる。

また、最近では恋人を見つけるのに苦労する若者が増えていると言いますが、一番簡単に理想の恋人を見つける方法は、自分の好きなことにひたすら没頭することです。

同じ目的を持った人たちは、遅かれ早かれ、いずれ引き寄せられていく。

人も企業も、距離ができてしまった世の中ともう一度繋がり直す必要があるのでしょう。

缶バッジがそれを支えることができたのであれば、これほど嬉しいことはありません。