国内の労働者数のおよそ10%が営業職(販売従事者)として働いているそうです。
新薬の紹介から、フリーランスの仕事の売り込み、あるいは地域のマーケットでブースを出すといったことまで広く捉えれば、実に多くの人が売ることに関わって暮らしています。
少し前までは、何かを売る営業のスキルというと決まって、お客様の問題を解決する力が重要とされていました。
しかし、情報が簡単に手に入る今の時代、営業と消費者の持っている情報の差はそれほど大きくありませんから、消費者が自分で問題を解決するための商品を選ぶことは、さほど難しくありません。
既存の情報で勝負の難しい状況下、既にある問題を解決するよりも、まだ相手の気づいていないことを見つけることの方が、今求められる営業スキルとして移り変わりつつあります。
よく「子どもはみんなアーティスト」と言いますが、先入観のない幼児の行動から見習って発見を促そうとしている会社があります。
革新的なデザインで世界的に有名なデザイン会社「IDEO」では、幼い子どもがいちいち「なんで?」と繰り返す “なぜなぜ期” の行動をヒントに、対話の中で全部で5回、相手に「なぜ?」と問いかけるメソッドを使っているといいます。
相手がまだ気づいていない、思いもよらない利点や問題が隠れていないか知るためには素直に相手に問いかけることが欠かせませんが、学校にしても研修にしても、既にある問題を解くのが上手くなるばかりで、問いかける方法を学ぶ機会は多くありません。
まっすぐな眼差しで既存の社会に問いを投げかけるアーティストのように、わたしたちも皆、ものの見方を磨くことが今後のビジネスにおいてますます重要になってくるでしょう。
そうした時にアーティストの感覚を取り戻す入り口として、缶バッジづくりを活用いただけるのではないかと思います。
日常を缶バッジで切り抜くと、思考力が倍増する。
ここで、大人から子どもまでを巻き込んだ “知のエンターテイメント” としての場で缶バッジづくりが取り入れられている事例を紹介したいと思います。
この場は、もともとは学力トップの生徒が集まる地域屈指の学習塾として運営されていました。
しかしながら、その目的について「子どもをテストで学年1番にすることなのか」と問い直され、改めて「世の中を面白い視点で見られる人を増やすこと」を目指して、場のあり方が革新されたという経緯があります。
缶バッジづくりが活動の中でどのように用いられているのかというと、まず参加者に新聞や雑誌のようなたくさんの情報が載っている紙が配られ、参加者はそれぞれに「自分が気になった部分」を真剣に探して切り取り、缶バッジにするということです。
直径4cm弱の缶バッジのサイズに一部の情報をフォーカスする作業は「物事をボーッと見ない」練習になり、新たな視点や気づきを得る経験となります。
実際にやってみて、自分が缶バッジのデザインに選んだのを「なぜその部分が気になったのか?」と考えると、行ったことのあるお店だったからとか、数字の並びが好きだったからなど、万人に納得してもらえるような説明はできなかったりします。
自分の視点から生まれたデザインに違いないのですが、缶バッジでクローズアップされたことで、何か完全に新しいものが見えたような気持ちになるから不思議です。
個々の記憶や経験に缶バッジのフレームを掛け合わせて一つの新しいモノが生まれるように、あらゆるものは世の中に既にあるものの中から組み合わされて生まれているのかもしれません。
実際にアーティストやクリエイターは、まわりから「どうやって思いついたの?」と問われると、まだ誰も見たことのないような存在を生み出したつもりではないために、なんとなく後ろめたい気持ちになるものだそうです。
伝統の中や社会の中など、身の回りに材料は溢れており、誰でも自分の見方次第で既に存在しているものが面白く見えてくるのです。
スマホのスクリーンの中に、宝は絶対に存在しない。
たとえ私たちが情報の溢れる時代に暮らしているといっても、SNSのつながりなどではむしろ、共通の価値観を持つ人たちの意見に囲まれるばかりです。
そして、価値観が近く、楽にコミュニケーションが成立する場に身を置き続けた結果、一種の集団思考に陥り、新しい気づきを排除したり、生まれにくくしたりして先入観から抜け出せなくなってしまいます。
事実、新しいアイデアの生まれやすさについて、アメリカの都市間競争を比較した研究では、性別や職業が少数派の人たちがたくさんいるところの方が、イノベーションが起きやすいという結果になったそうです。
人がまわりにあるものから面白い気づきを得られるのは、その人が周りの人と比べて多様な体験をしていたり、それを掘り下げて考えたりする習慣を持っているからと言われています。
そういう意味では、缶バッジの枠内に新聞の顔写真を選んだ理由が「大好きなお祖父さんと似ていたから」であっても、それはその人固有の経験によるもので、誰かに真似されない面白さに間違いありません。
個々人のストーリーは誰にも真似することができず、合理的ではないかもしれませんが、ものの見方を豊かにする情報としてますます活用されるようになるでしょう。
「缶バッジ」を使って、日常の視点を再定義する。
缶バッジづくりのワークショップでは、缶バッジに切り取られた部分が他の誰とも全く同じになりません。
このように、視点の面白さは数値で測ることができないために、ビジネスでは重視されていないように思われがちです。
しかし、そもそもビジネスの健全性を数値だけで確保するには限界があり、ビジネスが苦しい状況でも数値で健全に見せようとするあまり「違法ではない」という理由で倫理を踏み外し、批判を浴びるケースは後を絶ちません。
そうした危機を察知する視点を得るにも、私たちは仕事においても「はずれている」「はずしている」といわれて自信を持てるくらいに、一人一人がアーティストとして今あるものに自分の視点で問いを持つ必要があるのではないでしょうか。
例えば四国の小豆島では、小豆島が瀬戸内国際芸術祭の会場になってから、外からやってくるアーティストの視点で島の魅力が掘り起こされ、島で生まれ育った人々が自信を取り戻しているそうです。
「身の回りのありふれた風景も、視点次第で面白くなる」
缶バッジづくりの「ボーッと見ない」練習は、足元の花から目の前のお客様まで新たな見方で感じ取り、普段の暮らしやビジネスに新しいチャンスを発見する人物を育てることになるのです。
参考書籍
・ダニエル・ピンク、神田 昌典 (翻訳)「人を動かす、新たな3原則 売らないセールスで、誰もが成功する!」講談社、2013年
・瀧本哲史「2020年6月30日にまたここで会おう 瀧本哲史伝説の東大講義」講談社、2020年
・山口 周「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~」光文社、2017年
・平田オリザ「下り坂をそろそろと下る」講談社、2016年