桶狭間の戦いをはじめとする数多の戦と同様に、織田信長が精魂込めてやり遂げたことが「まちづくり」であったと言われています。
信長は、本来であれば軍事施設である城を「魅せる」ものとして一新し、そこに訪れる人々を「もてなす」空間として城下町を構想しました。
こうしたことは、大阪の豊臣秀吉も江戸の徳川家康も通じるところがあって、天下を目指す殿様たちの傍らには千利休のようなデザイナーがつき、各々クリエイティブなまちづくりを推し進めていたのです。
歴史的には、クリエイティブな人々のすることがまちづくりであったそうですが、時を経た現代において、クリエイティブな人たちが「ここは自分のまちだ」という帰属意識を強く持ち、行動を起こすことは当時ほど多くないでしょう。
というのも、私たちのまちでは、まちを流れる川、家の前を走る道、そして地元の学校などはどれも、国のもの、県のもの、あるいは町のものというように名前がつけられたりしています。
そういった環境ですから、「まちは自分のものではない。だから手を出してはいけない」という意識が自ずと定着してしまうのも無理はありません。
しかしながら今、コロナ禍によって故郷に簡単には帰ることができない状況が続く一方で、リモートワークの普及によって地方移住への関心が刺激され、人々の間に「自分のまち」への当事者意識が高まっている気配がします。
そうした中で缶バッジは「自分のまち」を楽しむグッズとして、地方を中心に活用され始めています。
広島県尾道市では大学入学を機に、市外で下宿生活を送る学生が多くあり、コロナ禍にまちとして彼らに何か支援ができないかということで、「尾道学生応援箱」というマスクやラーメンなどの小包を送るプロジェクトがスタートしました。
そこに同梱されたのが、まちを連想させる絵柄の缶バッジだったそうです。
このバッジをデザインしたのは尾道市立美術館で、こちらの美術館では入館しようとする猫とそれを阻止する警備員さんとの攻防の動画が海外のニュースにも取り上げられるほどに広く知られています。
そうしたことから缶バッジには、ゴマビエという疫病を祓う妖怪と、尾道市立美術館で話題の猫の写真を組み合わせたオリジナルキャラクターが描かれました。
「まちづくり」をコンセプトにビジネスをデザインして活動の幅を広げている企業もあります。
「パン屋で街を元気にします」をコンセプトに、パン屋のプロデュースを手がけてきたJBM(ジャパンベーカリーマーケティング株式会社)。「考えた人すごいわ」などの一風変わった店名で知られるこちらの企業のプロデュースするパン屋のデザインは、クリエイティブさが際立っていますがそれだけではありません。
例えば、群馬県高崎市の高級食パン専門店「まじヤバくない?」では、メインキャラクターの顔を群馬県の形にして、その絵柄を持ち帰りの紙袋にあしらい、まちのエッセンスをパンに添えて楽しませています。
このように缶バッジや紙袋などは、これまでのファッション寄りの位置付けから一歩進み、それを持つ人が「自分のまち」を密かに楽しめるアイテムとして、まちや企業に活用されるようになりつつあります。
実際、前出の尾道市立美術館の缶バッジにおいては、缶バッジを受け取った尾道出身の学生から大きな反響が返って来たとのことで、学生たちは「自分のまち缶バッジ」によって、一人ぼっちだと思っていた気持ちが救われた部分もあったかもしれません。
これまで「まちおこし」といえば、多くが観光客を呼び込むという意味合いで使われていました。
コロナによって外から人を連れてくるというのが難しくなってしまったことがきっかけとなり、これからますます、「自分のまち」に愛着を持つ人を増やすことがまちや企業の発展に関わるようになるでしょう。
『世界一訪れたい日本のつくりかた』などのベストセラーで知られるアナリストのデービット・アトキンソン氏も、結局観光目当てのマーケティングで映える写真を使っても、実際に訪れた人の思い描いていた「まちらしさ」がそこに無ければ悪評が拡散していいことはないと、マーケティングの方向性に対して警鐘を鳴らしています。
きっと「自分のまち缶バッジ」のように、まちの人たちが自分たちで何かをつくり、自分たちで楽しむことが第一で、それが他のまちの人を楽しませることになり、最終的に人の集まるまちへと近づいていくのです。