今、平成生まれ以降の4人に1人は「欲しいものは?」と聞かれても、答えが思いつかないと言います。
その背景には、日々SNSなどインターネットから押し寄せてくる情報過多があります。
つまり、キリない情報を集めて比較検討をするくらいだったら、「自分が何が欲しいのか、誰かに考えて欲しい」というような『無関心な消費者』が増加しているのだそうです。
モノも情報も溢れかえっている今、消費者は「これが欲しい」「あれが欲しい」と思いを巡らせるようなゆとりを持てなくなってきているのが実情です。
そうした中で消費行動は、自分自身の欲求ありきのショッピングから、「あなたが欲しいものはこれではないですか?」と問いかけてくるのを待つショッピングへとシフトしています。
買い物履歴からの「あなたにオススメ」という手法は大企業の得意技になりましたが、その一方で全く他人の、個人の好みをベースにして人の欲しいものを販売してきた企業もあります。
例えば、個性的な書籍や雑貨が並ぶ「遊べる本屋」ヴィレッジヴァンガードは2018年度の時点で全国におよそ350の店舗を抱えていますが、それぞれの店舗の店長やスタッフが自分好みに売場をつくっているのだそうです。
一見ごちゃごちゃして見える店内は、店長あるいはスタッフという一個人の想像フローに任せて、ものが選んで配置されています。
まずは自分が個人的に売りたい本を決めるところからスタートし、そこから連想ゲームのように「この本が好きな人だったら、こういうものが好きかな・・・」と思いを巡らせ、イメージに合うものを本の周りにディスプレイしていくということです。
このようにして、ヴィレッジヴァンガードでは店舗の個人が自分好みに店をつくっているわけですが、お客はなぜか「なんでここまで自分のことをわかってもらえるのか」と強い共感を覚えるのだそうです。
「あなたにオススメ」の精度を上げるためなど、マーケティングの視点ではサイトを訪れたユーザーがどのように行動しているのかを調べるユーザー分析は必須とみられます。
とはいえ、そもそも人は何に対して心が動くのか、という部分から出発して考えてみると、基本的に人は「ユーザー」ではなく「人」としてみられる方を好み、誰でもないその他大勢の「ユーザー」とされることを敏感に感じ取るのかもしれません。
ヴィレッジヴァンガードが「遊べる本屋」から「サブカルの聖地」に発展したように、個人の好みに対する強い共感は人々の消費意欲を高めるだけでなく社会現象を生み出すことがあります。
マイナーで個性的な現代のサブカルチャーに対し、70年代の若者は、既存の社会システムや親世代の権威への闘争を起こしたカウンターカルチャーの中にありました。
その象徴的存在だったのがセックス・ピストルズらの奏でたパンクロックです。
今ではよく見かけますが、バンドマンやアーティストが缶バッジを介して自分たちの世界観を伝え始めたのもこの頃で、例えばイギリスのセックス・ピストルズも、缶バッジで真っ先に思い出されるバンドの一つです。
バンドの缶バッジが大人気となったセックス・ピストルズはまさに、人のためを思ったわけではないのに人々を動かしたバンドでした。
実際、バンドメンバーであったグレン・マトロックもその著書の中で次のように話しています。
「自分で楽しむ、暇をつぶすための方法だったのだ。音楽で世界を変えようとか、そんな大それたことは一度も思わなかった。」
そうした彼らの思いと音楽で盛り上がっていた都市部ではアーティストやバンドの缶バッジをつけていない若者はほとんどいないほどだったそうです。
アーティストやバンドの缶バッジをつけることは当時の若者が「自分は、その他大勢ではない」と示す手段のようなものでした。
今の社会でヴィレッジヴァンガードに訪れる10代の人たちが何気なく手にとって共感してしまうもののように、当時レコード店や本屋に並んだ缶バッジは若者一人一人に「なんでこんなに自分のことがわかるのか」と思わせるようなアイテムだったのかもしれません。
思えば近年、日本では商店街のシャッター街化が進む一方で、街に「横丁」を復活させる動きなども出てきています。
品数の置けない小さな店同士、店主の好みを競うような横丁の店々。
そうした横丁は、売られているものに対する店主自身の好みに、お客自身の気持ちがシンクロするようにして食事や買い物を楽しむことができる場所なのでしょう。
サブカルチャーやカウンターカルチャーのように、「自分は大勢とは違う」「自分をわかってくれている」と感じて何かを買ったり、所有したりする喜びは他には変えられないものがあります。
たとえ周囲に馴染めない自分がいたとしても、缶バッジで好きなことを示せば、それに答えたり、共感したりして自分と同じように考える人を、思うよりもたくさん見つけられるかもしれません。