「留学生30万人計画」が掲げられた2008年、日本に学びに訪れる留学生の数は年間12万人でした。

当時の2.5倍に当たる「留学生30万人」という数字は、わずか10年足らずで達成されたそうです。

ここ数年でさまざまなアジアの国から訪れるようになった若者たちですが、彼らの中には、大学で一緒に学んでいる日本人の同級生よりも、苦労してきた年配のオジさんの方が話が合うという人たちが少なくないといいます。



リソースが乏しい環境だから、自分の力で乗り越えるための思考力や創意工夫する精神が鍛えられる

今の日本では例え「機械工学」専攻の学生だったとしても、自転車のパンクさえ自分で直さずに「人に任せるのが当たり前」といった風潮があります。

対照的に、ものが乏しい時代を生きてきた日本のオジさんたちには自分で考えてなんとかしようという気概があり、留学生たちは「なんでも揃っている今の日本の恵まれた環境は、日本の若者にとって弱みなのではないか」と感じるようです。



豊かな社会に暮らしているのは、「強み」ではなく「弱み」なのかもしれない

こうした留学生の感想は、かつて松下幸之助が、「成功した理由」という問いに対して「何もなかったから成功したのです」と答えたことを思い起こさせます。

戦後の日本には、実用性や利益は未知数でも「やってみようじゃないか」と言える、良い意味での「あそび」がありました。

すぐに役に立つテーマではない研究や技術開発ができたためにユニークな研究者も多くあり、研究室に神棚をつけて祈ったり、コタツを持ち込んだりするような各々の自由な行動まで受け入れられていたそうです。



体が弱く、小学校しか出ていない、そしてお金もなかった幸之助は、「健康、学歴、金」の3つがないために今日があると思う、と語った

さらに遡って江戸時代の商人たちの暮らしを見てみると、彼らは午前中にビジネスのために働き、午後にはお金稼ぎとは別の人助けのような「はたを楽にする」ことで働きました。

そして夕方の時間は、明日も元気に働くための「明日備(あすび)」=「あそび」として、自分の時間を使います。



ビジネス、人のため、明日のため。江戸の商人は時間を3つに分けていた。

グーグルは従業員に対し、仕事の時間の20%を個人の関心ごとに使えるというルールを設けていますが、日本では昔から「あそび」はそうした概念で取り入れられていたのです。

私たちはかつての日本人のように、明日に備える「あそび」を開拓することでまた、「やってみよう」精神を取り戻せるかもしれません。



グーグルも、江戸時代の日本人も、明日につながる「あそび」に費やす

缶バッジを、会社の未来につなげる「あそび」として、従来の業態から道を開きつつある企業もあります。

缶バッジは「メーカーがつくるもの」であったところから、機械で簡単に自分でつくれるものという意識改革が進みつつあり、誰でも好きなデザインを好きな量だけつくれることがメリットとして広まっているのが現状です。



缶バッジは、「メーカーがつくる」から「誰でもつくれる」へ。

一方で、情報のデータ化が進み、ピーク時の半分まで市場規模が落ち込んでいる印刷業界。そこで、ある印刷会社は印刷技術があるからこそできる、和紙などのこだわり素材を用いた缶バッジを追求していきました。

その技術や素材を活かした缶バッジは、印刷会社に新しい問い合わせのきっかけを作り出しただけではありません。

缶バッジを配る場では通常、バナーなどの他の印刷物も必要です。缶バッジと合わせて従来の印刷物をまとめて注文してもらえるケースが出てきており、今ではイベントツール制作会社のような性質を持ちつつあります。




缶バッジをつくる人が増えたからこそ、質の高いものが求められるようになる

私たちは「あそび」を取り入れれば、何でも揃って出来上がっているように見える世界をまだまだ面白くすることができます。

どういうことかというと、例えばAppleの音声対話システム「Siri」は、「愛しているよ」と話しかけると「どのアップル製品にもそう言っているんでしょう」などと答えます。

先を見越してデザインされ、ちょっと皮肉屋でそっけない、ユーザーの遊び相手になりうるような個性をもつSiri。

テクノロジーに服従する形ではなく、あそびによりテクノロジーの世界は広がろうとしています。



「愛してるよ」に対して、「どのアップル製品にもそう言っているんでしょう?」

明日への不安に襲われない豊かな社会に暮らしているのは、この社会の外側からみたら「強み」ではなく「弱み」なのかもしれません。

日本に留学し、ソーラーパネルの開発だったり、農作物の栽培や生産だったりと、高い志を持って研究していた外国の人たちがどうなっているかというと、残念ながら日本では企業などで貢献するチャンスを得られないことが多く、アメリカなどに渡って活躍しているそうです。

これまで大きな不安のなかった日本の人々の間でも、缶バッジは今、表現のプラットフォームになりつつあります。

見通せない明日に備えて動き出す「あそび」を促す缶バッジづくりはこれからますます活用の幅を広げていきそうです。