「手に入らない」「買いに行けない」そんな暮らしの中で、なんとなく惰性で買っていたものを買わなくなった人も多いのではないでしょうか。

そもそもトイレットペーパーやティッシュペーパーの買い占めが起こる以前から、紙が貴重だった時代を知っている年配の人の中には、どれだけティッシュペーパーが安くとも無制限に使うようなことはできないと話す人が珍しくありません。

世界中を不安が覆うこの時代を生きる私たちも、コロナ以前と以降では、全く同じ暮らし方ではいられないでしょう。



コロナ禍により、日々の習慣が否応なしに崩れていく

コロナの感染が完全に収束するのにかかる時間は、1年とも3年とも言われています。

その間、グローバルに行き来していた人やものの流れは停滞し、色々な業界で「もっと、もっと」と繰り広げられてきた『肥満化』を止めることになると予測されています。

ぎっしりとものが詰まっていたスーパーの棚に隙間が増え、次々と埋められていたスケジュールが白紙に戻っていく中で、これまでそこにあったものの価値そのものも見直されていくのです。



ペーパータオルより、タオルを買う。「役に立つ・役に立たない」よりも、「意味」という軸でものを考える。

一人の人が、やるべきことやつながる人をたくさん抱えている今の時代、自分の価値観を確かめるツールとして、「喪失体験ゲーム」というものがあります。

「喪失体験ゲーム」は2人以上で行うゲームで、参加者はまず白紙の5枚の紙に、「家族」「友達」「お金」「生きがい」「役割」と、それぞれに対する思いを込めて書き記します。その後、参加者同士でジャンケンをし、『あいこ』か『負け』になった人は5枚の中から「失ってもいいと思うもの」を1枚選んで破り捨てます。

これを繰り返していくと、最後に一番失いたくない1枚が残り、自分にとって何が重要なのかが見えてくるというわけです。



紙幣を破り捨てるのと、生きがいを破り捨てるのはどちらが簡単だろう?

自分が例えば「家族」を一番大切に思っていることに気づいたとしても、それに沿った生き方をしているのかどうかは別の話で、自分をよく知るまわりの数名に「私って、どう見えている?」と尋ねてみると、返ってくる答えは予想外なものだったりします。

実際、自分の思いと現実が一致しない社会生活を送っているために、潜在的にストレスを抱えている人は少なくないでしょう。

例えば、家族の健康を思うならタバコは避けた方がいいでしょうが、喫煙者の多い環境に日々身を置いていると喫煙者がいない環境にいるよりも、自分が喫煙者になる可能性は61%も高くなるという研究結果があります。習慣や環境から受けている影響は見逃せないほど大きいのです。

自分の大切にしていることを見直し、それがきちんと伝わるように発信してしていくことで、コロナ禍で空白になったところに、幸せだと感じられる行動を増やしていけるかもしれません。



近しい人に自分がどう見えているかを聞くことが、そこに向き合うきっかけになる

コロナによる不安の高まりとともに、人々が思いを発信するツールとして缶バッジが世界中で用いられるようになっています。

コロナ感染の恐れが広まる中、医療関係者が電車やタクシーに乗るのが難しくなっているということで、シンガポールでは ‘Nurses are the Nicest(ナースは最高にナイスな人たち)’ といったメッセージが描かれた缶バッジなどが制作されました。

それは医療をサポートするためだけではなく、人々がコロナへの恐怖と闘う手段としてもつくられたそうです。

コロナと共にある今の状態を「ウィズコロナ」と呼ぶようになりましたが、自分の好きなことや応援したいことを缶バッジにして飾ったり身に付けたりすることで、それらと共にある気持ちを見失わずにいられるのかもしれません。

自分の思いを示す缶バッジは、不安に揺るがない暮らしへと近づく一つのツールになりつつありそうです。



例えば、企業とNPOに出資することにも差がなくなってきており、「世の中にとっていいこと、意味のあることをしたい」という自分の思いにハマるかどうかがさまざまな面で重要になっている

古物商の人はよく「どんなにすばらしいとされている器であっても、それがどのような場所に置かれるか、どのように使われるかによって、美しいものにも醜いものにもなる」といいます。

それはきっと人間も同じで、ハーバード大学の研究結果によると、日々の暮らしに幸せを感じている友人が1人増えるごとに、幸せになる可能性は約9%ずつ高まるが、逆に、日々の暮らしが不幸だと感じている友人が1人増えるごとに、自分が幸せでいられる可能性は約7%ずつ低下するということです。

コロナウイルスの感染に伴って「コロナ不安」の感染も広がっている中、缶バッジで自分の大事に思うことを表現する人が増え、それによって幸せを感じる瞬間が増えていったら、地球規模でよい影響をもたらせるのではないかと想像が膨らみます。



幸せを感染させる人になるか、不安を感染させる人になるか

「時間がないから、また今度」と、大切なことや人を後回しにしてきた習慣によって幸せの度合いが落ち込んでいたコロナ以前の暮らしは破綻しかかっていたのかもしれません。

薬を飲み続けているうちに量を増やさないと効かなくなってくるように、ものも情報も選択肢も増え続けていく過程で、さまざまな価値の感覚が麻痺していたことを実感させられます。

紙一枚にしても、「失うまで、その大切さがわからなかった」と終わらないように、今空いた時間の中で大事に思うことをバッジに刻んで身につけていようと思います。